野の仏

セルのぬくもり

 「今夜は組合の集会やから、セル出しといて」と夫がいいます。

 「もうあのセルは、ねんがたってるから虫穴があいてますよ。ウールにしやはったら」と私。

 「まあセルでも、ええが」

 「そうですか、こんな時代おくれのもん」

 「なにい、これは俺の母親が俺の為につくってくれたもんや。親に仕えてこなんだお前に、親の気持がわかってたまるか」

 夫がどうしてこんなに怒るのか、さっぱりわからなくて、オタオタとセルを置いて、退散したんです。

 「こんなに古ぼけたセルがそんなにいいのかなあ」「人様が見て なんだあんな古いもの着せたはる≠ニ嫁の私が笑われやしないかなあ」「新しい着物も作ってあるのに」と、思ったものです。このとき以来、主人は二度とこのセルを着ると言わなくなったのです。

 さて、わが家の厨(くりや)に古ぼけた水屋があるのてす。

「新しい、貰った水屋と入れ替えたらどうや」と、夫。

「長い間使って馴じみがあるから、私はこの方がよろしいわ」

 「おかしな奴やなあ、こんなガタガタ」

「それでも、これは戦時中の物の無いとき指物師にたのんで、母が私のためにこさえさしてくれたものです」

 「好きにしたら、ええがな」

 ぽたぽたと私は涙を落とし、このとき初めて、セルの着物のことで怒った主人の心がわかったのです。何十年たっても、それぞれの母は、それぞれの子の心に住んでいるんだなあと。

 母の心を宿していた古いセル、台風で倒れ、ガタグタになっている水屋に宿る母。夫が二十一歳のときに早逝された姑さまに、一度も仕えることのなかった私。夫婦の間で、お互いに善意で言った言葉でも、聞く者の耳には、そうは素直に通じないときもある、ということをしみじみ味わって、お姑さまに仕えることの、いかにむづかしいかを、あらためて深くさとったことです。

 姑と嫁が、お互いにわかり合えるようになるまでには、長い年月の辛棒がいるのではないでしょうか。それからは、主人のセルの着物を大切にすることが、いまの私にとって義母を敬う心につながるのではないか、とおもい、大切にしまっています。そしてこのつぎ、厨を直すときには、水屋は入れ替えようと思っています。なんとなく悲しくて、淋しいですけれど、いつまでも里の母を背負っていてはいけません。一度も仕えたことのない、山野のおかあさまに悪いですもの。

欲張り者と俳句

お稽古事というものは、どんな事でも、己が身を利するものです。世には天災やら、人災やら盗災やら、さまざまな危険な事件が起こり、過去の大戦などになりますと命一つ、といった目にも出くわします。ところが身を飾る金銀財宝は消え失せても、命一つある限り、死に果てるまでは習い覚えた稽古事も生きているというわけです。

 稽古事が好きで、門戸ばかり広げて奥行の浅い私ですが、人生の峠をくだる頃になって、ふと俳画を習ってみたいと思うようになったのです。なぜかといいますと、ほかのお稽古事はお金がかかるんです。がどうも俳句、俳画というものは、広告紙の裏の白いのと、鉛筆とがあれば事足りるように思えて――金儲けなどとても出来ない年、せめて趣味でも安上りにと下司(げす)の考えたことです。

 たまたまその頃、甥が結婚しました。ときどき甥の家を訪問してみますと、玄関や床にも色紙がかかっています。例えば柿の絵に、ひと時雨来そうな空を鵙の声、柿の赤く熟した大和棟の家、今にもひと雨のきそうな曇天、けたたましい鵙の声、一枚の色紙から、大きな自然と風景と音とを想像することが出来ます。私はその空間にある空想の姿に、ひどく感激したのです。

 また、石蕗(つわぶき)の絵に、豆叩く女仕事や冬近し

 百姓の女房である私は、むかしは正月用に大豆や、黒豆を叩いたことがあります。例えば水仙の絵に、在釜と門にかかげて寺の春

 廉 飛火野の雪にひきつる凧の糸

 大根 何一つ動くものなし凍の野に

 鮎 川からの風にはためく簾哉

 ひまわり 炎天や行商女重荷とく

 つくし かげろうや天平の恋秘めし土

 あじさい かたつむり触れば角の長短か

 こんな色紙の前に立って見ると、その光景が彷彿と眼前に浮かんで来て、自由自在に心の中で想像を遊ばせることができるのです。

 むつかしい世にもてはやされる、偉い俳人さんの句より、私はこのように、誰にもわかり易い俳句が好きなんです。矢も盾もたまらず、奈良を遠しとせず、早速弟子入りをしたわけです。この方は甥の嫁の叔父さんです。

 ところが盲滅法入門はしたものの、恐ろしく私は下手で、どんなに劣等感にさいなまれたことですか、第一、俳句にならないんです。あれもいいたい、これも表したい、たった十七文字の中に欲張り過ぎた思いが、入るわけがありません。先生も随分手古ずられたことと思います。

 それでも俳画を書きたい一心で、人が一年で出来る所を、私は五年と考えて、それも熱中する弟子でなくて、底辺をいつもいつも迷走しつづけているのです。

永遠の憧れの君

 俳句入門のお蔭でたまには吟行(ぎんこう)について行くようになり、こうした吟行の道中、ちょつとした草花、木の名前、季語などから、色いろと自然の知識も、知らず知らずのうちに身についてくるようになりました。

 私自身も、一枚の落葉に心をとどめ、生の名残を感ずるようになっていたのです。活け花も茶道も、随分稽古したつもりだったのですが、花の名などすぐ忘れ、名器や茶碗茶器などは、それこそ「天上のもの」として遥か地上から羨やましく眺めていたに過ぎません。けれど地上の花たちは、下手な画にすることもできます。身近に活けることもできます。

 ある日、美男かずらという真赤な実を画く勉強会があったのです。この時まで、私は美男かずらという名すら知らなかったのです。なんだか万葉か、昔の本かで見たような、聞いたような、いえいえ美男という言葉に満腔(まんこう)の憧れをいだいていたのかもしれません。

 「どこへ行けば見られますの」ということから、奈良ホテルの正門前を上った瑜伽神社へ。冷たい時雨の降る日、友達と訪ねて行って、石垣一面にぐみ色に熟した球形の実が成り下っている美男かずらに、お初の対面をしたわけです。

 鹿垣を入ると、郁子(むべ)の棚があって赤紫の実が成っていたのです。「この木は、七五三にほれこんなに葉が出る、目出度い木ですよ」と教えていただいたのもこのとき。

玄関には朱の烏瓜が二個、唐金(からかね)の吊り燈籠にかけられ、なんとも自然に慈まれたお住居です。少し高い所にある朱塗の本殿に参拝する石段の横には、南京はぜのハート形の葉が、不思議な紅葉をみせ、金鈴子(せんだん)の実が黄金の鈴さながらを、天に向って捧げています。御手水屋からは馥郁たる臘梅の匂い、体の中が香りで一杯になりそうてす。

 それからというものはどこへいっても、美男かずらが目につくのです。二月堂開山、良弁僧正の開山堂庭前、奈良三名椿のひとつ、糊こぼしの下に、不退寺の寺務所の低い土塀の隅に、一休寺の奥の別院に行く大木の高い高い梢に、そして高安山にもあります。

 こうしてあっちで拾ってきたり、こっちで実を貰って来たりして、秋には一恵園にも美男かずらが赤い実をつけ、南京はぜが言葉では言い表わせない深い紅葉を、臘梅は友達から頂戴し、金鈴子、これは小鳥のお持たせで、ひとり生えしております。

 世の中は何が幸になるかわかりません。何もない私ですが、稽古ごとのお蔭で、句は下手でもこうした豊かな心と、自然を持つことが出来るようになったのです。美男かずら、永遠の憧れの君よ。

 「別名さねかずらともいうのよ」

 そんな名前なんて、獏(ばく)に食われて消えてしまえ。

  【獲】夢を食うという空想上の動物。


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