目刺し

吾輩は緑平でアル

 お風呂に入りますと、戸の外で緑平(ろっぺい)が主人の出てくるのを待っています。この時の「主人」は、(わが家の)主人であり、私自身であり、息子でもあります。あんまり可愛いいので、今日は緑平の話にさせていただきます。

 緑平は名の示す通り雄猫です。まず緑平と言う名の由来から申しましょう。

 甥に男子誕生、四緑木星の歳だったので、名字からよく合うように、緑平と考えたのですが、私の子や孫でなくてボツになったのです。多分ご存知かと思いますが、種田山頭火という自由律の俳人がおられました。私はとてもあこがれて何冊もその関係の本を読んだのです。家を捨て子を捨て、大酒を食らい放浪をし俳句を作り、自分のしたい事ばかり。私はこういう人を余り人間的に尊敬する事は出来ません。

 私はすごく平凡な女ですから、一人で苦労して子を育てた奥さんの方に味方してしまいます。もちろん、この奥さんも夫・山頭火の為に、自分の愛を捧げられたのかもしれませんけど。そしてまた、山頭火が托鉢の時、足元に投げられた小銭を拾って投げ返したという一節もありました。僧衣姿の山頭火がお金を投げ返した、自分を何様だと思っているのでしょう、傲岸(ごうがん)な男の姿、拾って有難く鉄鉢に入れて一礼した方が、お坊さんには似合うのではないでしょうか。もちろん御自身、後に反省しておられましたが。

 さて、この山頭火の陰の協力者、時には金子(きんす)を送り、山頭火が自分の日記や俳句をしたためたノートの送り先、九州の炭坑の医師、この方を緑平さんと申します。私はこの緑平氏をとても尊敬しています。だから去年十二月、雄猫を貰ってすぐ、売れ残った緑平という名を好んで付けたのです。

 「変な名やな」と男二人が不服そうでしたが、別に文句も出ず、緑平、緑さん、ロクロク緑助、緑平ちゃん、と、さまざまな呼び方で呼ばれています。そして必ず返事をしてくれます。

 愛のお余りを三人三様猫一匹に注いでいますので、多分に過剰気味な愛情を、受けねばならない仕儀になった緑平は、いささかこの三人の愛の押しつけに辟易(へきえき)している風情です。時にはひどくこわい目をして、五月蝿(うるさ)いなあと睨みつけて、裏庭へ出て行きます。俺の孤独を邪魔しないでくれといった、素振りを見せて。

 しかし甘えるのは上手です。私の座っている横か後ろへ来て、暑いから手などのばして私の足の指先とか、どこかにちょっと触れて、よこたわるんです。その触れている一点から、猫と私の愛情が交流するような気になるから不思議です。スキンシップとでもいうのでしょうか。夏場は主人夫婦に似て四肢を延ばし、なんの警戒心もない姿でともに昼寝をします。

 ときには自由と孤独を、ときには甘え、ときには出迎えに出る猫の仕草に、人間にも学ぶべき一所がたくさんあるように思います。

女史のアダ名考

夢殿の記憶

 「べーちゃん」若手市会議員

 「のぶさん」某協同組合本部長

 「オショーさん」下の太子ご住職

 「じさやん」河内を代表する「武勇伝」の持ち主、それでも理学博士さん。 愛称の持ち主には、その愛称が生まれるだけのユーモアがあって、愛称そのものも、よくその人物の特長をとらえ得て妙なものです。

 名は体を表わすと申しますが、人の方が名に似合ってゆくのではないか、と思われてなりません。目下わたしは「先生」とか「女史」とか、おちょくられています。これは愛称ではない、と私は思います。少々侮蔑の意もふくめられています。しかし綽名(あだな)というものは面白いものです。私が一番はじめに頂戴したのは「聖人」。女学生の頃です。多分、田舎の百姓家のクソ真面目な女だったのでしょう。

 「薬剤師」これは服装からきた名前です。

 女学校卒業のある秋、同級の親友数人と法隆寺の夢殿を拝観に行ったのです。もう終わりの時間ぎりぎりで、拝観者は私達だけだったように思います。外から入った堂内は薄暗くて、しばらく馴れなければ何も確認できない程なんです。

 「わあ、この観音さん、山ちゃんにそっくりやわ」一番仲好しの友の声。

 ぶるぶると私は、暗さと冷たさ、板のように異様に細い体と、奇怪な顔の笑いとに身震いをしたんです。どこをどう似てると彼女は思ったのでしょう。それを確めないうちに、「巨人会に入ろうか」と言う程太った、百貰デブのこの友達は、戦災であっけなく死んでしまいました。いま考えあわしますと、細さといい、冷たさといい、かといってその掌に薬を入れた棗(なつめ)を持つ頬笑みの顔、もったいなくも救世観音に似てるといわれて、何となくくすぐったいような、はじきとばされたような、複雑な気持を持ちながら不思議な重圧を味わっていたことです。

モダン・パパ

 血を見れば、ひっくり返ってしまいそうな私が血を流したこどもに包帯を巻く、なぜかそんな役がめぐってきます。

 あれはいつのことでしょう。ひどい火傷をした近所のこどもが、友達に負われて家の前で私に助けを求めたんです。ひと目見て「早く早く病院へ」と言っただけです。

 つぎの日、その子が家で寝ていると聞いて、おせっかいな私は入院させることを担任の女教師にすすめ、取りはからってあげて欲しいと頼んだのです。一週間ほど過ぎてやっと入院が実現、二カ月くらい病院にいましたかしら。

 こんな私でも、若い頃「フランス人形」って言ってくださった方もあるのですよ。長じて「教祖さん」とも。

 さて、いまはどんなニックネームがついていることでしょうか。カゲの声「婆、婆」。なるほど、ごもっとも。「先生」や「女史」なんかより、ずうっとマシ。「婆々」「ばばあ」。せめて「モダン」ぐらいパパの頭につけて下さいよ。

賢者とならずや

 まいるよりたのみをかける葛井寺 はなのうてなにむらさきのくも

 ご存じ、西国三十三番霊場、第五番札所、河内の国は葛井寺の御詠歌です。 動物も人間も、霊感とか第六感とかウンヌンされる何かをもっています。だから結構神仏とは心の交換が出来るものと、私は考えている一人です。

 「わざわざお詣りしなくても、心は遠く千里を駆けるというもの」と私、

 「神様仏様には足を運ばなあきまへん」

 ある老女。

 「人間が死ねば、肉体も霊魂も消滅するもの」

 「死んでも魂だけは残りま、わてはそう信じてまっせ」。

 この人の考えをくつがえす論理的な言葉を、私は持ち合せておりません。心の中で反発しながらも。だから七墓まいりということも理性の中で肯定することは出来ません。

「暑い中をようやらはる、病気になるかもしれんのに」となかばその迷妄信をあわれみつつ。それでも頂度十年前、何かの御縁というより、千何百年よりのもろもろの無縁仏に対して一本の線香をあげる、という敬虔な心、いま自分が平和に暮らしていられるのもこうした気の遠くなるような庶民の死の上に生かされているのだ、という思いにかられて、七墓詣りに参加しました。

 けれど、余りの暑さとしんどさ。たった一度で御縁の糸が切れてしまっていたのです。

 十年ひと昔といいますが、それから九年を経た昨年、植松風土記執筆のため「七墓詣り」を取材したところから(おこがましいのですが)、ひと昔の縁がつながり、二度目の参加となったわけです。このときは、写真やら五輪塔の確認やらに気を取られて、老化の頭は思考することなど忘れてしまっていました。

 さて二回お詣りさせていただきますと、何となく七回お詣りさせて貰いましょう、という気になったから不思議なものです。そして「行」という字や文がこの一年問、やたらに目についたものです。

 比叡山千日回峰行、病欠も許されぬ荒行、「なんの為に」分りません。妻帯せず肉食せず、「人と生まれてきてこの不自然」分りません。禅とは?行とは?私如き凡婦には分る筈がありません。

 ことしはことのほか暑い暑い夏でしたので、七墓詣りの日は少しでも涼しいように、と祈っていましたのに、やはり八月六日は晴天。朝五時半、東を向いて歩き始めますと、灰色の空の中程に太陽が真赤な姿を現しはじめ、あそこが東山の頂上なんだなあと、この美しさと壮厳(そうごん)さに、この世界の浄土を感じたことです。

 総勢十八人、みな庶民です。この人達は無縁仏の供養と行基大徳の遺徳と、人に世話をかけずにという死を願って。よくよく考えてみますと、この同行者(どうぎょうしゃ)一同は、決して自分自身の倖を求めていないことに気がつきます。

 下の世話を受けないように、と考えるのは結果的には、はたの人の楽を願ってということにつながります。暑い日に汗を流して、足裏の豆をつぶして、誰がこんな辛い阿呆な事をするでしょう。前記の「行」ということと、一脈相通ずるところがあると思います。

 理屈では解明出来ないこと、賢くて偉い人には出来ないこと、不合理故に吾信ず、などとほざかないで、ただ黙々と行う、地の賢者ならずや、と私は思います。

名月は鏡の如し

 仲秋名月、芋名月、ころころと水滴のころがる芋の葉を敷いて、おにぎりとお芋を供える頃がきますと、それこそ風流心のかけらも持っていないような顔をしている主人が、どこからか彼岸花をどっさりこと取って来て私を驚かせたり、野菊の二、三輪をちょこっとコップに入れてくれたり、ピンクの玉すだれを一輪「花の命は短くて」と言いながら差し出してくれたりするのです。

 数年前まで、お月見の晩は一恵園の庭にローソクを立ててお供え物をして、お月見のお抹茶をいただいたものです。が、最近は亭主が老いぼれて準備をするのがしんどいので、うやむやのうちに消失してしまったのです。

 外国へ行って生活している人、遠くへ嫁いで行った近しい娘達、そして故郷を離れた知人や近隣の人、一年に一度、仲秋名月の夜のみ忘れないで月を見、そしてあの人この人を月の表に思い浮かべながら、安否を気づかい、幸を祈るのです。そのなかの誰か一人でも「一恵園では、今日はきっと月見をしているだろうなあ」

 「今頃は僕達のこと思っていてくれているかなあ」などと、月を鏡の媒体として、お互いに心を通わし、豊かな安らぎと潤いと、明日への勇気とを願うのです。

 そんなある日、隣りのお寺跡の空地の草薮の中に、ちらちらと赤い色が見えます。

 彼岸花です。人も通れない草むぐらの中から球根をいただいて、移植した死人花、秋の彼岸が来ると咲いてくれるのです。この花は、花ビラが散ると葉が出てきます。そしてその若葉の上に、咲き終わりの茎が倒れて朽ちてゆきます。

 墓場に多く咲くこの花を、人びとは死人花といって嫌います。その茎を手折ると死人のような悪臭があるからです。主人の取って来てくれた朱色のこの花を、大きな壺にいっぱい入れて眺めると、天上の極楽とはこんな赤い花の咲く、陽気な賑わしい所かと思われます。あの世の人を偲べる花、彼岸花。

 洋名リコリス、白い彼岸花。近くにおすまいの、園芸大家の苑庭よりいただいたものです。

 ことし八月、この家のご主人が亡くなられたのです。山野より一歳年長で、まだ六十歳台半ばだというのに。人に、物を差し上げておくっていうことは、なんといいことでしょう。亡くなられたと聞けば、とたんにその亡き人の魂がこのリコリスにとんできて、宿るような気がします。

 白い彼岸花もまた、形見になってしまったなあと感慨無量です。

 秋ともなれば、紅白の彼岸花が死人の臭いをぷんぷんさせながら天上に咲く架空の花、蔓珠沙華(梵語)となって、一恵園に舞いおりてきたのではないかと思うのです。


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