五月雨

薔薇嫌い≠フ弁

 万人が花の女王とあがめる花、バラ。そのつんと取り澄ました気取り方。

 「きれいな花だよ、手に取り見れば、憎や葉裏に刺がある」こんな郁々逸(どどいつ)ありませんかしら。ともあれ、神や仏に嫌われる花、花白身にはもち論そんな気位など、何もないのでしょう。見る方の私の心に、ひがみか偏見かの先入観があるのですね。

 私は余りバラを好みません。ただ一点好きな所をあげれば、バラは、はらりと散るところです。咲いて老残の身をなお、いつ迄も木にしがみ付いている花もあります。その点バラは、思い切りよく、はらはらと散ります。

 一恵園には、たった一本バラがあります。しかもこの木は、どの木よりも最も古いのです。

 昭和の初め頃、主人が神立の親類よりいただいて、大切にしていたものです。ちなみに主人はバラが一番好きらしいです。八年近い出征中も、このバラは畑に植えられて、主人を待っていたのです。だからここに居を構えたとき、最初に移植されたんです。

「うちのバラはいいなあ」と息子が言います。「どうして」と私が聞きますと、「うちのバラはバラらしいバラ色をしてるもん」「………」なかなかうまい形容だと思います。道に面して植えてあったので、このバラが咲くと「いい色ですね」と言わない人はなかったものです。実に柔かい、淡い、バラらしいバラ色をしているんです。この淡さを主人は非常に好いていたらしく、バラが好きだと言う人が、他に一本のバラも植えなかったのです。

 私のバラ嫌いもこの淡さ、ほのかさ、やさしさに、ほろりと参ってしまいます。なにせ気位いの高さなんて、とても感じさせないもろさを持って、嫌いな者でも好きに変化させる程の色合をしているのです。欲しがる人もあり、挿し木もしましたのに、どうしたものか、一本もこどもを増やしません。その後裏へ移植したのですが、椋が大きくなり過ぎ、枝を張り過ぎ、その下蔭になってしまって、この頃いい花を咲かせなくなってしまいました。

 太陽の光の、どんなに有難いか、木がよく教えてくれます。

 とにかく、この花が咲くと、これを好く人の心の中を、おしはかって、このような柔らかな、優しい心に、ならなければいけないなあ、とつくづく思うのです。

 何色にも染まりそうで本来を失わない花、主人が心に画いている永遠の恋人って、こんな色あいの人かしらと、花よりもほど遠く、個性の強い、あくのある女で済まなかったなあと、思う心や切です。

ああ殺虫ゲーム

 太陽と水と土さえあれば、樹木は繁茂するものだ、と思っていた私は、そんな考えは、傲慢な、自然知らずの、大あま女であるという事を、嫌と言うほど知らされる結果となりました。虫がつくのです、あらゆる物に。

 蝶であれ、トンボであれ、バッタであれ、虫と名のつくものの大嫌いな私は、大勇猛心を奮い起こして、虫と格闘しなければならない羽目に立ち至ったのです。

 飛んでいる時の優雅な姿に似合わず、蝶のぶよぶよとした胴体は、見ただけでも身震いがするのです。だから私は蝶もトンボもバッタも取ったり殺したりは、決して致しません。遠く眺めて美しい姿ばかりを見ています。

 ところが、いつか黄緑色をした長三角形の化物のような奇怪な姿をした大虫が、樟にたくさんついているのを見たのです。こんな変な虫もいるものだろうかと、不審に眺めたのが、蝶の幼虫だったのです。この虫ばかりは未だによう触りません。もっぱら主人に任せきりにしています。

 芙蓉(ふよう)の葉には青虫がつきます。はじめは箸を持って来てつねっていたのですが、ちり紙ではさんだり、蕗の葉で押えたり、手袋をはめたり、そんなまだるっこい事をしていて、癇癪を起こし、今じゃ二本の指で捻りつぶせるまでになりました。

 その次はブンブンです。金蔵建てた家建てたの黄金虫は、ブドウやら合歓(ねむ)の木に多くつきます。その名の如く恐ろしい繁殖力と大食漢で、数日にしてブドウの葉を食いつくしてしまいます。初めはこれもよちよちと、一匹ずつ、つまんで足で踏み潰していたんです。足の裏で潰れる音と感触に、同じく私の慈悲心をも踏みにじっていたのです。

 ところが、この虫は身に危険を感じると、ダッと地面へ身を投げる習性があるのてす。

土色をしていますから、草木の間では全然見つかりません。でも人間の知恵って、その上を行くものですね。私は空罐に三分の一ほど水を入れて下で待ち受けながら、ちょっと金ブンをさわりますと、彼は脱兎の如く身を躍らして、空罐の中へ入水自殺するのです。手を金ブンの糞で汚されず、踏み潰す悪感(おかん)も味あわず、一石二鳥の結果となったのです。

 いいこともあります。夏一番早く松蝉が鳴きます。そしてもち論、夏になると蝉が鳴きます。網を持ってやって来るこども達に採られはしないかと、気が気ではありません。

秋になると、つくつく法師が鳴きます。

 赤い夕陽に身を晒している、はかない蝉の短い命を思うとき、何となく無常を感じるものです。まして虫殺しをした後など。

 世の無常を思う時、私は蝉のように、一日一日を充実して、勤めねばならないと思うのです。


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