煩悩

造化の妙に敬礼

 二世を移植して、数年を経たある日。主人曰(いわ)く

 「赤い花が咲いたで」

 「何の花ですの」と私。

 「白い椿の子やがな」

 「へええ……」

 五年前の四月十五日、はしめて白椿の子に赤い花咲く。主人、私、姪、大変びっくりする。と日記に記されています。ほんとにびっくりしたんです。白椿の子が、いっせいに赤い花をつけ始めたんです。そしてあちらからも、こちらからも赤い椿が咲いた、との風信が届きます。差上げた椿からは、一本の白い花が咲いたという便りはなく、一恵園では、十本に一本位の割りで、白い椿も交っています。

 そもそも、この紅白二本の椿は、昭和二十三年頃、私のお茶の先生の、茶室の前に植えられていた紅白の椿の実生なんです。この家は「さかく」と呼ばれていた旧家で、夫婦とも茶人さん、倉一杯に茶道具があり、私の知っていた頃は、未亡人の奥さん一人のお住居でした。一人息子や、御養子さんや、貰われて来られた男子は、だれもが病気や戦死やらで亡くなられ、いつも未亡人だけが、広い屋敷に一人住居していたのです。が、とうとうこの方も亡くなられ、家も倉も総て取り払われて、今は一本のアカシヤの大木を残して、空地となり果ててしまっています。

 アカシヤは、大木である為に、切られず移植されず、無事に生き残れたのです。春夏秋冬花咲き花散り、小鳥来り小鳥去って、自然の営みを続けています。私がこの木の下を通る時、いつもこの木を見上げて話します。

 「よく生きていたわね」と、繁栄した主家が亡び去って、荒廃したこの土地に、再びどんなに価値のある、美しい芸術的な生活の、花が開く事でしょう。一恵園の紅白の椿は、音もなく消え去って行った、一家の歴史を背負って、ぼやけた赤の三世を増やし続けています。

 この白椿が咲き盛る頃になりますと、朝早くから夕方迄、入れ替り立ち替り、小鳥がやって来ます。どうしてこんなに小鳥が来るのかしらと、ある日私は、好奇心にかられて、試して見たのです。小鳥のするように。

 二月堂のお水取に、掌に戴く一滴のお香水に似て、芳香あり、清く爽やかな、得も言われない甘さの蜜があったのです。

 「ああ成る程、小鳥はよう知ってるなあ」と感心したものです。でもあなた、小鳥でない人間様の私は、どうなったとお思いになります。そうです私は顔中黄色い、花粉だらけになったのです。

 「花粉だらけやないか」「あらどうしたのかしら」「あほやな」と散々笑われたんです。「嘴(くちばし)がないからなあ」自然の造化の妙、の前に深く深く頭を垂れた事です。

花無心蝶を招く

顔中花粉だらけにして蜜を吸う失敗を演じてからは、今度は花をスポッと取って、尻から吸って見たんです。1t程の丸い蜜の玉が、舌の上をころがって、食道へ落ちて消えてしまいます。でもこんな事をいつもしていたのではそれこそ、花はたまったものではありません。一輪ずつ花は死んでしまいます。花の命を奪うなんて、ほんとに済みませんと、深く深く頭を下げて、あやまったんです。

 時に魂を見失いかけた時、私はこっそりと、その一輪を戴いて、神秘なるものの力を、お借りします。花無心蝶を招くと言う言葉があります。人も時として無心になりたいと思う時があります。もしそんな無心になれた時、があったとしたら、果たして人間の前には、何が現れるでしょう。

 神? 友? はた富?

 白い椿の三世が、赤い花を咲かせたとき、昔無心に戴いてきた紅白の実生が、白は白、赤は赤の花を咲かせた事が、とても不可思議に、思えてならなかったのです。

 たった一本が白であった、(赤い花が咲いても仕方がないのに)幸運の富くじに、当ったように、白だと無心に信して疑わなかった、信頼の心に、神の見えない御手が、添えられていたのではないかと、今更あらためてその何かに感謝して居ります。

 山や街を歩いても、塀の上に覗く、白椿は少いものです。

 「白い椿持って来たわよ」

 「有難う!それ別に置いとくわ、花が落ちるといけないから」と茶の友は言います。

 花屋さんから買った椿は、蕾のまま、ぽろりと落ちます、花開かずに。庭に咲いた開き初めの枝を切って活けますと、花は数日間、開いたり、夕方やや閉じ加減などして落花しません。花の生きている時を、知らねばなりません。

 「大丈夫よ、この花は生きてるから」

 さて私どもの門徒物知らず、の浄土真宗では、椿の花を仏花として仏前に供えません。

しかし奈良等の古いお寺では、観音様の前に並べられている六器に、一つずつ椿の花だけ、供えてあったり、葉だけの時もあります、底に少しの水を湛えて。

 二月堂の修二会の籠りの御僧達や、薬師寺の花会式にも、一重椿の造花が作られます。 昔々は、椿の花を忌むような、迷信などはなく、人々はもっと、大らかな豊かな自然に、抱かれていたように思います。

 


総目次、 花盗人捕えれば、 造化の妙に敬礼 花無心蝶を招く つらつらつばき