初詣

天地有情映す

 ある日、友達がやって来て、

 「貴女の家、いい名前をつけてるね」

 と、言うんです。

 「何の事?」

 「表に「一恵園」て書いて張ってあるやないの」

 「ああ、あれ」

 「ひとつの恵の園だって、貴女の家と庭にぴったりね」「有難う」

 実はそんなに幽遠(ゆうえん)な事ではなかったのです。一恵園は私の「華名」で、時たま家元よりの通知に一恵園と書いて来るので、郵便屋さんへの親切から、ちょっと書いただけなんです。でもこの会話以来、華名などそっちのけ、もっぱら庭を指す事に心の中で定めてしまっています。終戦後、有り合せの材木で、十二坪半の制限内で建てた家など、近隣の大きな邸宅の中では、年々歳々朽ちて行って、見すぼらしい犬小屋の如きものてす。

 しかしその頃から貰って来て、植えて置いた、実生の木々たちは、この小さい家を圧して、歳々年々、枝を拡げ花を咲かせ、住む者に一つの大きな恵みを与えてくれています。

 一恵園その名の通り、夢窓国師作庭、曰く遠州、石州、丈山の借景、枯山水、石庭、ほとんどの庭と名のつく所、禅寺から個人の庭に到るまで有名無名の人の手、植木職の手が入って居ります。

 一恵園はそのほとんどが、実生から鳥の糞から自由に大きくなったものばかりです。

だからどの一木一草にも、その木にまつわる歴史を持っています。

 木のために毛虫を取り青虫をひねりつぶし、チチと鳴く蓑虫に詩情や哀れを感して、桧を枯らしたり、黄金虫の下へ身を投げる習性を知って、空函に水を張り、下で待ち受けて、入水自殺させる手も考えたりしたものです。

 「おばさんの手紙を読んでると、千坪もあるような庭に思えるわ。私は知ってるからいいけど、知らない人だったら吃驚(びっくり)しやはるよ。」とある時、姪が言って来たんです。

 例え一坪の庭であろうと、十坪の庭園であろうと、見る者の心、心により、天地有情を、宇宙の森羅万象を、写して見る事が出来ます。心とは左程に、果てしなく広いものです。持つ人の感じ方一つで、つまらぬ庭ともなり、四季折々語り合う事の出来る、一大庭園ともなるのです。自由自在に生きている木木の下に立った時、人間の心もはじめて自由という最高に尊い、安らぎを得る事が出来るのではないでしょうか。

花盗人捕えれば

 椿や桜は昔、武家や豪商に大変嫌われた花木です。首からころりと落ちるとか、富がすぐにはらはらと、散ってしまうとか言われて。

 一恵園には、ひと重咲きの椿が沢山あります。しかも紅白ばかり、庭園に植えられる椿の中では、最も見栄えのしない、好まれない、つまらぬ椿です。

 一番最初に、実生の双葉を貰って来て植えたのは、昭和二十三年頃、何もない庭の、

縁側近く赤、その北側に白、今この北側の白椿が、三十年の歳月を経て、屋根よりも高く伸びて、春になると何百と数え切れない程の、白い花をつけます。落花は木の下を丸く白く染め、そして徐々に黄土色に変って、やがて土に帰ります。

 何故かこの一重の白い花を、お茶人さんが喜ばれて、あちらからも、こちらからも欲しい欲しいとよく所望されます。

 一輪の白椿を、信楽や鶴首に入れて、床の間や玄関に置いてごらんなさい。そこだけは、いっぺんに、清浄な犯し難い、高貴な場所になってしまいます。

 漂泊という言葉があります。決してたどり着く事のない人生の漂泊、一輪の白椿にも、決して解明する事の出来ない、神秘な神の存在があります。その前に座して、相対した時、私はその無言の白さに圧倒されて、身震いをします。心の中に何かわからない恐れと、戦(おのの)きを感じて。

 そうこうしている間に、白椿の木の下には、二世が沢山実生して来たんです。私は喜び勇んで、ありとあらゆる人に「白い椿ですよ」と、言っては差し上げたんです。そして一恵園にも五十本程も植えたでしょうか。

 さて赤い椿に話をもどしましょう。赤い椿は、南側の日当りのいい場所に植えたので、昭和三十年頃、白よりもひと足早く、第一の蕾を二個つけたので、どれ程心をわくわくさせて、咲くのを待った事でしょう。やがて咲いた花は、とてもとても赤い色よい、大輪だったんです。翌日昼頃、ふと気がつくと、花がないのです。「あれ」と驚いていると、花盗人「お母さん、こんなきれいな花が咲いたよ」「……」三歳になったばかりの息子が、さも自慢気に、両手にかざしています。腹が立つやら、情けないやら、何とも言えぬ複雑な気持を、味わったものです。

 赤い椿は、この心ない無法者に反抗したのか、家や木の影に、なってしまったせいか、昭和五十年迄の二十年間に、一輪の花も付けません。「木にも心が有るのではないか」と、この貴重な体験を、子供にも親にとっても、大切な心の戒めとしています。


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