耳順風順

関白宣言、恐れるに足らず

 智に働けば角が立つ、情に棹(さお)させば流される、意地を通せば窮屈だ、山路を登りながらこう考えた―というのは夏目漱石の、かの有名な小説「草枕」の書き出しです。ところで、夜寝床にはいって目をつむるといろいろな光景が、その折おりの瞼(まぶた)の裏に浮かんできます―というのは、たびたぴ随想で使う私の書き出し。

 他人(ひと)さまはよく「あなたはほんとうに気楽で、自由に暮らしていられますね」と、私におっしやいます。「はいありがとう」とか「まあね」などと答えます。でも考えてごらんなさい。今の若い人たちと違って、私ども年輩の女の半世紀昔は、もっと封建的な社会、大家族制度、そして家父長に絶大な権力があった時代なんです。

 そうした中で育ち、嫁しては夫に従いの家訓のもと、絶対の服従は絶対の操縦法である、なんて、わかったような分からんような文句を教えられ、最初の絶対の服従という言葉だけを後生大事に幸福の呪(じゅ)文のように、毎日暗唱しながら暮らしてきたのです。

 そんな主婦が、ほんとうに心の自由を得られるときは、床に入るときしかなかったのです。だから私は、床をとって寝入る前のすこしの時間に、自由を満喫し、さまざまな想像をほしいままに、ときには天国に遊び宇宙を遊泳し、自分ひとりだけの恋人をつくりあげ、劇中の人物になり、自由自在にロマンの花も咲かせるというものなのです。

 絶対の服従を金科玉条にして生きてきたはずの私が、いま他人(ひと)さまから「ほんとに自由な気楽な人」といわれるのは、絶対の服従は……という格言の、うしろの文句の方が、ようやく白日のもとに芽を出してきたのではないかしら、とその芽を不思議におずおずと眺めます。

 それは夜の夢に咲く、幻(まぼろし)のロマンの花だったのでしょうか。

それともほんとの自由の女神だったのでしょうか。

とすると皆さま、絶対の服従もまんざら捨てたものではありません。

 楽は苦の種、苦は楽の種といいますが、真実に苦労をしなければ、いかなる花も咲かないものです。何の苦もなき水鳥に見えましても、私ども老年輩の女性は、足にひまなき思いをして、戦前、戦中、戦後の混乱を生き抜いてきたのです。

 絶対の服従という言葉を、絶対の愛という言葉に置き換えて。

とこしえに植松の樹霊よ

 東口から西口まで歩けば十五分。こんなちっぽけな植松の村にも、さがせば書くことがいくらでもあるものです。何百何千年の歴史が、秘められているのですから。植松には植松の地霊があります。そしてその地霊を受けて生長した木々には、樹霊があります。

 松林寺の二本の大銀杏樹も、秋になると突如として付近一帯を黄金色の落葉で埋めます。人々はある朝、時ならぬ自然の攻撃に散った一葉を拾い上げ、しみじみとその形の微妙な神秘にうたれるのです。そして、ある葉は土になり、川に流れ、あるいは焼いて立昇る煙に、道行く人の足を止めすべての形を流して、自然に返る姿を何となく心を静めて、その胸に受けとめるのです。

 このとき人はみな仏であり、神であり、善人であります。

 この松林寺は一恵園の隣りにあります。それで銀杏(ぎんなん)の熟する頃、業者が来てカチ落とし四斗樽にいれて、穀を取る方法など教えられたり見学したものです。

 いつか―この二本の大銀杏樹が切られるというので、相変わらずの私は、この木の囲りをウロウロとうろついて、どうしたら助かるだろうか、と思い悩んだものです。

 この大銀杏樹は、矢作(やはぎ)神社の大銀杏樹のごとく横に広く枝をのばし、乳房状突起のある種類で、余りに大きくてどうすることもできず、私は終日鋸(のこぎり)でひかれている木のそばに立って、ギーコギーコの音に心臓をきざまれる思いをしつつ、ひとり、木のいたみを感じ、名残りを惜しみ、この何百年を経た大銀杏樹の樹齢を思って、涙を流し心を暗くしたものです。

 しかたがありませんので、そばに生えていた実生のこどもをもらって来て、一恵園に植えて置いたのです。それが年月を経て大きく成長してきたので、近くの竜華小と竜華中に植えさせていただいたと思います。

 その後お宮さんにお詣りして、例の渋川神社の天を摩す大銀杏樹のぎんなんを拾ってきて埋めておいたのが、今では二メートル程にものびています。秋になると赤や朱や柿色などの紅葉にまじって、真黄の彩りを添えてくれます。きっと神木の樟(くす)の魂も宿しているのではないか、と一人で悦にいっては、ほくそ笑んでいます。

 ちなみに銀杏の材は、碁盤にされて永く人々のかたわらで聖(ひじり)の如く石に打たれて、その第二の旅をつづけるのです。

「さようなら」一恵園

 季刊誌、河内どんこう九号で「八尾の果物あれこれ」を八尾市農協本部長の片岡信雄さんが書いておられます。そのなか、大和川寄りの大正・沼地区に梨が植えられていたということです。これを読むまで、私はこの八尾で栽培されていたことなど少しも知らなかったのです。

 戦前植松の出口(地名)国道25号の北側に、山野(家)の梨畑があったのです。不注意にも、この梨畑に梨の花の満開を私は見たことがありません。ただ戦争で潰され、その名残りとして、いま一恵園に二本が現存しています。

 春四月、桜の花が散りはじめますと、色あざやかな桃の花、真白い中に少し緑がかった梨の花が、金茶色の葉を覗かせながら咲きます。そして柿の花、真黄の大和の一重山吹、それはそれはきれいに咲き続きます。

 百万の富なんか忘れ去って、貧しさを天上へ捨ててあーあ、きれいだなあ、生きているんだなあ、幸せだなあと思えるんです。

 あらゆる木が眠りからさめて、春の粧(よそおい)をします。黄緑の葉、赤い葉。

 さわれば、煙の立つように形の花の花粉がポーツと漂います。どこから夢の霞が棚引くのか、春はすべてうつつのような愛の溜息をもらして、息づいています。

 桧は山形にスッくと、木材の王者の姿を保ち、欅(けやき)は弾力のあるしなやかな枝をのびのびとのばし、口紅水仙が紅をほころばし、雪柳、猫柳、小でまり、チューリップ、スイートピー、つまらぬ花でも一恵園は花盛りになります。

 花咲きぬ、いざ生きめやも といった気持ちになり、子供は子供なりにそわそわと予定を作り、大人は大人なりに気もそぞろになります。余りにも小さい、ごちゃごちゃと片着かない庭なので、人は招きたし気恥ずかしで、うろうろしている内に春はさよならともいわないで、そっ気なく行ってしまうのです。

 そうしてさるすべりが木の天辺に花を持ち、ねむの木がピンクの羽根飾りを頭に咲かせます。ある日、真赤な紅蜀葵が、夏だ、わが世だと目にもまばゆく咲き盛り、黄蜀葵にはいつも蜂がもぐっています。木槿や芙蓉がやわらかい花をポックリと、丸く落として花の秋が終わります。

 それからは無果花やぶどうや桃や梨の実る季節に入ります。

ごめんなさいね。ひとつ、ひとつの花の生きざまを書いてあげる紙面がなくて。一度に開花、一恵園の庭のように押し合いへし合いの出番で終わりにさせていただきます。

 田舎舞台の幕切れです。つつましい木や花達も、多くの人々に愛されうれしそうにさよならと手を振っております。

 ご愛読の皆様方の幸を祈りながら。


総目次、 いんじゅんこそくな音がする 関白宣言、恐れるに足らず とこしえに植松の樹霊よ 「さようなら」一恵園