秋時雨

ヒタヒタ近づくあし音

 Wさんよりの電話

 「あなたは何でも食べられていいわね、私なんか家では甘いもの食べさせて貰えないから外へ出て食べるんよ。駄目やね。悪いと知りつつ、でもね好きなもの食べられないって、人生灰色に見えるやないの。口とは何につけても災いのもとやわ」なるほど。

 Tさんよりの電話

 「あなた、クラス会に来い来いというけれど、私その日は園芸の勉強日なんよ、一日休むと何で休んだのといわれるし、その日を抜けると次が分からへんでしょう。行ったとき話があわなくて難儀するのよ。でも園芸ってとても楽しいわよ。あなたがクラスの会合に毎月出席してるのと同じよ」クラス会と園芸の講習と同じ性質のものかな?

 0さんよりの電話

 「私も細いから持久力がないんですよ。遊びが過ぎると、すぐ風邪をひいたり寝込んだりしています。あなた、弱い者は外出をへらせというけれど、旅行が好きだから。自分の行きたい所へ行って死んでもいいと思ってるの。来年は外国へも行こうと思っています。行きたい所へもゆかずに死ぬより、行きたい所へ行って死んだ方が本望です」

 さて本望の死がどんな姿でやってくるやら。

 Nさんよりの電話

 「Kさん、目まいがして救急車で入院しやはったらしいわ、あんなに丈夫な人が。頑健だと自他ともにゆるしてたのにね。人間て分からんもんやわ、達者やいうても、もう歳やね。自分で自分の身を大切にせなあかんわ。あなたも気をつけなさいね」有難う。

 回る地球の地軸に超然として、回る人生の絵模様を眺めているような気がします。地軸から一歩も動かなくて。

 吾人はすべからく現代を超越せざる可からず

 すべての人の、すべての行道は、これを肯定しなければなりません。現代を超越して、はたからとやかくの口出しや、注意や、指図が何になるでしょう。何もなりはしません。

百人の人には百人の歩いてゆく道があるのだと、つくづく思います。おのおの己の信じ好む道を得手勝手に。

 今日の一歩をどの様に歩くか、ふと立ちどまって神の声に耳を傾けるか、風の吹くのにさからうか、水の流れに棹さすか、人の善意を肉にするか、その歩きかたによって、自分の死が遠くもなり近くもなります。そしてまた、安楽に死ねるか、苦しみ長うして死ぬのか。その死が人を楽しませ喜ばせる結果になるか、散々世話をかけて嫌がられるか。地球は黙して語らず。

 人生道中は誠に険しいものです。

山のあなたの空遠く

山のあなたの空遠く幸(さいわい)住むと人のいう

噫(ああ)われ ひとと尋(と)めゆきて涙さしぐみ帰りきぬ

山のあなたになお遠く幸住むと人のいう

               (カールブッセ=堀口大学訳)

 女学校二年生、新学期冒頭の国語の時間、和服にはかまの若い女の先生が、最初に優しい声で朗詠して下さった詩です。多分、先生もまだ夢多き方であったのでしょう。聞いている生徒はそれこそロマンのなかに呼吸(いき)づいていたのです。

 それからというもの、いつもいつも山の彼方には何かまだ見ぬ幸の世界があるのだ、と山を眺めては夢を見、空を仰いでは歎息し、果てなき海より寄する波に、柔らかな胸は希望に高鳴っていたものです。

 いま振り返って見る人生の幾山河。

 まず試験から解放され、そこには自由があると憧れた大人の社会へ、ひとつの山を越えて入っていったのです。でも社会は生活するにはもっと厳しいところでした。さまざまな人の欲望や、野望や欺瞞(ぎまん)、徳、不徳、生存競争の渦が巻いていたのです。それでも泥の中にも蓮の花が咲くように、恋の花も咲き、落葉に降る雪のかそけさにも感動する若き乙女は、なおロマンの夢を心の底から消しさることはなかったのです。

 迷い、悲しみ、ときには絶望しつつも、清水寺の舞台から飛びおりる勇気を持って、またひとつの空の彼方の幸にいどんだのです。そうです、結婚という華やかさに自分を忘れて。歓喜の叫びも争いの苦痛も相なかばして、これが幸なのかなあといった慌(あわ)ただしさの中で、今度は肉体の大格闘の末、可愛らしい殊玉のごとき天使を神様が与えて下さいます。

 幼児ってこの世で神の下さる最上の送り物ではないでしょうか。這(は)えば立て、立てば歩めの親心、その微笑は生活の苦しみを社会の悪を、すべて消し去ってなお余りある美しさを持っています。

 幼児はその純心さの故に、どれほど親を喜ばせ勇気づけ、孝行の限りをつくしてくれていることでしょう。

 勝手に生んでおいて、可愛がって苦労して育てたからといって、老いて子に孝行を押しつけるのは大人のエゴです。余りにも自己中心主義ではないでしょうか。育てるのは当然で、その間じゅう、子供が親を喜ばせてくれた事を考えれば、それだけで「山のあなたの幸」を手の中に握りしめたと思えるではありませんか。でもやがてその掌中の珠は、背中に翼(つばさ)を得て、自ら幸を求めて山のあなたに飛び去ってゆきます。

 山のあなたの空遠く幸住むと人のいう、噫 われひとと尋めゆきて涙さしぐみ帰りきぬ、山のあなたになお遠く幸住むと人のいう

 山を越え野を過ぎ谷を渡って人生の幾山河。この次の山へ登ったとき、山のあなたの向うにはいったい何があるでしょう。深淵なる大宇宙か、極楽浄土か天国か、はたまた――

いんじゅんこそくな音がする

 明治の初年、「散切(ざんぎり)頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」といわれた、文明開化の夜明け―日本国中の人々がその黎(れい)明に光り輝く太陽のごとく、文化ブンカに憧れたものです。

 太平洋戦争が終わってからはそれこそ、何々文化クラブ、文化何々、と文化と名のつく結社が、次から次へ雨後の筍(たけのこ)のような勢いで芽を、ふき、われもわれもと名乗りをあげたものです。私もその文化の名前にのせられて、目ばかりウロチョロしたことを覚ています。

 わずか一冊の本にもならず、日の目も見ぬうちに消えてなくなってしまった結社もあり、そのほとんどが二、三年の間に、湧いては流るる雲のごとく、霧にかくれ霞(かすみ)につつまれて、夢幻と失せてしまったものです。

 戦後三十数年、人智の発展は教育の充実にともない、世の中は進歩し、文徳がゆきわたって、生活の向上に貢献しているかにみえます。高校を卒業し大学を出、まさに「文化的」な住宅は軒を連ね、鉄筋建築は目もくらむばかり空に林立し、高速道路は縦横無尽に頭上を走り、日の光の届かぬ地底の穴蔵にも街ができて、人は土竜(むぐら)のように右往左往し、地上に出た土竜が明るさにキョトンとするように、人も地下鉄を出てキョロキョロと、方向と現在地を確めなければならない風情です。

 なんと文化は進んだものではありませんか。自動車という凶器が、人をも空気をも毒する時代です。家庭の意識調査でも、日本のほとんどの家庭が中流だと思っておられるそうです。だとしたら、その中流家庭に、中流の精神文化が豊かに流れているのでしょうか。

 やお文化協会が発足されて丸四年を迎えます。私はこの会に参加して初めて、文化というものの実質がいかに咀しゃくされていないかという事実を知ったのです。だから、文化協会が文化の向上のために行なう見学会や、行事は、いつも定員不足、もったいないことながら、ガラガラのバスを走らせているようなものです。

 文化講演会を開いても、自らすすんで会場へ足をはこんで下さる方は、二十七万市民の中のせいぜい百人ぐらいではないかとのことです。これが自分で「中流」とみとめていられる、大多数のかたがたの精神文化の現状です。

 坂道をころがり落ちることは、いとやさしいことです。でもたとえ一歩でも向上しようと努力することは大変なことで、いかに文化の芽の育ちにくいかということがよくわかります。

 会員諸兄姉の絶大なるご後援がありながら、かくのごとく赤字のバスをかかえて、やお文化協会はよろめきながら走っています。せめて小さくとも文化の灯を消さないように、と願いながら。


総目次、 待たれる茶道の復古運動 ヒタヒタ近づくあし音 山のあなたの空遠く いんじゅんこそくな音がする 関白宣言、恐れるに足らず