春ひざし

紫陽花――私の好きな花

 もし誰かが、あなたの好きな花をたった一つあげよと言ったら、迷いますか。百種百色の花が、皆それぞれ己の個性を発揮して、強烈な自己を振りかざしています。どの花にもどの花にも長短いろいろ、そしてそれぞれ千差万別に好まれています。

 それから見ると人間はみな没個性のように萎んで見えませんか。小学校、幼椎園の入学式ともなりますと、淡彩無地の着物に黒の絵羽織、葬式といえば、このごろ親類であろうが他人であろうが一律に黒の洋服、これはどうした事でしょう。ミニスカートがはやれば右へならえ、今年は肩むき出しのタンクトップとやら。余り流行の目立たない男性の間でも、葬送には黒い背広姿が多くなっています。あれは暴力団のシンボルかと思っていましたのに。何だかややこしい時世になってきたようです。

 まだロマンの夢をみていた若い頃、百貰デブの友達は矢車草が好きだ、というのです。

 「私が死んだら矢車草を柩(ひつぎ)に入れてね」

 「じゃあ、その花の咲く旬に死なんとあかんね」

 と話し合った昔、戦中若くして去った彼女のために、戦後約束の矢車草をどっさり抱えて名古屋へ墓参、ようやく友情の重荷をおろした人世の旅のひと区切り。

 私は紫陽花(あじさい)が好きです。それも空色の淡い彩が。五月雨(さみだれ)のしとど降る頃、その大きな大手毬(まり)は、自分の重みに打ち伏しつつ、淡い青色の芯の一つ一つに雨粒をとどめて、なぜか儚(はかな)く淋しく頼りなげに一恵園に咲いてくれます。そしてその年毎に過去を思い、友を偲び、果敢くゆれるわが魂をみつめてくれるのです。あれほど豪華な大輪の花を咲かせながら、紫陽花ってどうしてこんなに淋しいのでしょう。

 小さい一つ一つが、いじらしく寄りそって咲いているからでしょうか。尋ねていっても遠い違い空の掴めない澄んだ色だからでしょうか。手折ればしぼむ浄き乙女の花だからでしょうか。

 このひと株と並んで同じ色の額紫陽花もあります。どうして全部開花しないのか、おかしなえこ地な花、これでれっきとした花だったとは―詩仙堂の添水の側の大輪を見るまで、蔑視していた花。

 桜は雲か霞か佐保姫か、満山これ花の吉野にとどめをさし、ひと重の白椿は一輪を活けて悔なく客を生かし、紫陽花はたそがれ時、薄墨色のたゆとう小雨の中に、ぽったりとうな垂れて、青春の苦痛にたえている気品ある一株が。

 若い心を持っているつもりが、いつかおばあちゃんと人に呼ばれて、心にぐさっと傷つきながら、そのいたみにじっと耐えつつ、やがて入る柩の主に紫陽花のひと花をそえてくれる友のありやなしや。

待たれる茶道の復古運動

 お茶席などにお呼ばれして、この頃よく感じることですけれど、拝見しますお床のお軸などは、たいてい大徳寺桃林何とかの和尚さま、でないときは鵬雲斉、淡々斉、裏は裏流の家元、表流はそのお家元、といったように、宗家に忠誠心あふれる書のお軸ばかりのように思われてなりません。

 いくらお茶だからといっても、こうも同じ系統のものをこれでもか、これでもかと押しつけられては、ちと食傷気味で胸のつかえる心地がいたします。

 もう少し軽妙なものを掛けるわけにはいかないものなんでしょうか。

 茶道具類は高価な値段の自慢話、衣類もまたお振袖そりゃあ拝見している分には目の正月です。けれども茶道具の自慢や衣装で、亭主が客を生かし、客は亭主を生かすという茶の本分にかなうものなのでしょうか。

 大寄せの茶会などで、客の衣類が質素なときは亭主に鼻の先であしらわれ、まるで場違いな闖(ちん)入者あつかいにされかねません。ある乞食僧は、身に破衣をまとっていても、寺の前でゆうゆうと茶を点て、まず仏に捧げ、ついで自服したといった心豊かな話も聞きます。衣服によって人の高下価値判断をしてはならないと思います。亭主は客を尊敬し、客もまた亭主を尊敬しなければなりません。

 むかし、秀吉朝鮮出兵の折、高麗より持ち帰った井戸茶碗を利休はこよなく珍重したとやら。そもそもこの茶碗は、あちらでは汁などを入れて食事に供していたもので、衣類も粗なるもの、道具も粗なるものが茶の本領だったように思われます。

 明治期の俳人正岡子規は、和歌も俳句も自然にかえれと叫んでこう詠んでいます。

 かめに活けし藤の花房花垂れて 病の床に春行かんとす

 かめに活けし藤の花房短ければ たたみの上に届かざりけり

 柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

 三千の俳句をけみし柿二つ

 だれが読んでもよくわかりますし、脳裏にその光景が浮かんできます。

 なんの作為的な跡もとどめず、しかも作者の内なる真実が、直接読む者の心に響いてきます。舌頭にころび、耳にここちよく囁(ささや)く芸術品ではないかと思います。

 時世とはいいながら、茶も自然の古えに帰れ、という一異才の出現を待つ心や大です。


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