冬の雲

大仏の心、家元は知らず

 もう五、六年も前になりますか、東大寺良弁僧上千二百年御遠忌法要が、唐僧菩提僊那を大導師として行われた、天平の盛儀にならって行われたことがあります。

 ご縁があって拝観させていただきましたが、そのとき、草月流御家元の献花があり―献花ってどんなものかと、思っておりましたところ―一丈何尺もあるような竹が大仏様のお顔のちょつと見えるていど、正面いっぱいに林立してるんです。

 そして椿だったでしょうか、色いろな木が根元にあしらってあって、私はまるで八幡の藪知らずを連想した程で、これが活花なのかと、あっけにとられたものです。高いので仰向いて見るので首が痛くて、ついぞ足許はどうして活けてあったのか、覚えていません。

 これを美しいと感じた人が、はたして何人あったでしょう。大仏さんが大きいのでそれにあわせて何十尺もある竹にしたの、との苦心談も語られたそうです。大仏さんが大きいといって、大仏さんを匿(かく)す程のものを活けて果たして何になるでしょう。嵯峨野の生きた竹藪の方が、ずうっと美しいです。 オブジェとか何とかいって、大きな木の根やら、いばらやら、金くずやら、金銀のモールやらを取りつけた見せ物も、活花芸術だと華々しく銘打って騒がれた一時代もあります。私はそのようなものを、けっして活花だなどと思ってはいません。何が何だかわからなくて、化け物屋敷の中の作り物に似た怪しげな妖気を感じます。

 活花とは小さい自然の中に、一人の人の愛のこもった、ぬくもりのある、ほのぼのとした、美しさのあるものだと思っています。

 三十年前、山河も人心も荒れはてていた頃、京の大覚寺の奥まった小さな仏前に、小手毬の花を御流儀活けに、左右一対、ほの暗いかび臭い無人の部屋に何気なくひっそりと活けられてあったのです。その白い花の清浄さ、ゆるぎなきお流儀の気高さ、人に見せようとしない松風の音、すべての心の垢がジーンと静まるのを覚えたものです。

 献花とは、そうしたものではないでしょうか。

 人に見せるものでなく、大きさを誇るものでなく、ましてや財を見せびらかすでないもっと神や仏の前に、謙虚に捧げるものではないかと思います。

 たとえば、わが家の花ひとつにしても、小さい一輪であろうとも、来訪する人を威圧しない、それでいてやさしく微笑みかける花、きてよかったと人の心をやわらげるのが活花だと思うのです。

SOS発信、宇宙船地球号

 ボイジャー一号、これはアメリカの惑星探測機です。一年半かかって十億キロをとび、あと二年で土星に、そしてまだまだ果てしなき宇宙の旅を続けるそうです。

 夜、寝床に入って目をとじますと、濃紺の広い広い果てしない宇宙を、瞼(まぶた)のスクリーンに画くことができます。

 その濃紺の中を小さいボイジャー一号が直進しています。どこまでもいつまでも、静止しているような動きのなさで。それでも木星や土星や天王星が、あらわれては消えてゆき、そのまだ遥か彼方に小さいちいさい星が、あまた明滅してみえます。

 宇宙って何て広いのでしょう。そしてその無限の宇宙を映すことのできる、人の心の窓も、また何と広いのでしょう。そんな宇宙にあって、米粒にも足りないちっぽけな地球に、四十億の人間がしがみついていて、よくこぼれないものですね。こうして画いた自然の神秘を考える時、なに人も敬虔(けいけん)な気持ちにならないではいられません。それなのに人はその心の内奥深く、善悪の心に迷い、利にさとく隣人をねたみ、権力におもねり、地位の高からんことを望みて、絶えず失望と良心の呵責(かしゃく)を繰返して生涯を終ります。

 社会のしくみもまた同じように、小心よくよくとした人間の様相を踏まえて、動いていると思われます。

 ときに一段と大きく目を開いて、世界を眺めてみましょう。国利国益という美名のもとに、広大な国土を所有している国でも、決してそれで満足をしてはいません。その巨大なる力によって小国を威圧し、虎視耽々と地球をわが物顔に睥睨(へいげい)しています。仲好くしなければならない国境を接した小さな国は隣りどうし相せめぎ合っています。

 夢とロマンに満ちたボイジャー一号を作れる人間の社会が、このありさまです。

 また現在ほど人命は地球よりも重し、といわれている時はありません。それなのに世の中が変わる時、いつもいつも前世代の主たる人が、なぜ殺されるのでしょう。なぜ殺さなければならないのでしょう。

 フランス革命のルイ十六世、マリーアントワネットをはじめ、いままたパキスタンのプット首相、イラン共和国の前首相ホベイダ氏をはしめ、その世代の指導者達七十余名、これがホメイニ師という回教シーア派、アラーの神に仕える人の手によって処刑されています。口ではアラーの愛をとき、後ろを向いては、神のみ心によりて人を殺す。神もそれを用いる人によってさまざまに変化する、恐ろしいことです。

 権力の座につきたい野望と、名誉欲とのある人は、恐ろしい野獣の心をその微笑の裏に隠し持っていられるのでしょうか。

 抑制なき人間の心の縮図を見ているような気がします。

ナムアミダブツ  ナムアミダ

 「わてが死んだら、こんどはあんたの番やな」と母が、姉に言い残して八十一歳で世を去ったとき、重病だった姉は息子にたすけられて訣別にきたのです。

 まだ娘の頃、どんなにか母を敬慕していた私は母の死は自分の死とひとつにと願っていたものです。ところが世の中というものはよくしたもので、親の死ぬ頃、子はすべて夫や妻を持ち可愛いい子供を授っています。そうなると若い頃の思いはどこへやら、老いた母を見送って淋しいながらにほっとしたものです。

 これで親より先に死ぬという不孝者にならなくて、だれにでもできる親孝行のひとつを果たした、あとしばらくは肉親の死に出会うこともあろうまいと、不思議な安堵感を味わったものです。

 こうしてまだ母の百カ日もすまないある日、突然次兄が心不全で急死という知らせを受けたのです。半信半疑、倒れたという現場へ主人が長兄とかけつけてくれた留守、私は頂度ひとり、だれに遠慮気兼することもなく、大声で泣き叫んだのです。号泣というのでしょうかこんなに涙もあるものかと思うほど。五十一歳の兄が、無言で家に帰りましても、私は割れる程の頭痛におそわれ、水枕に濡れ手拭をのせて寝込んでしまう始末だったのです。

 「今度はあんたやなあ」と母から宣言されていた姉は、一年の半分を病院で暮らしながら、とにも角にも十年を生きのびたのです。この十年の間にいつかは姉の死に会うのだと覚悟を定めて、あきらめもし、それこそ禅坊主の如きさとりの境地に入ったと、我と吾が心をゆるしていたのです。

 享年五十七歳の姉の枕辺に立ったとき、思いもかけず両眼から、また滝の如く涙がこぼれ落ちてきたのです。この十年間私は一体何の精神修養をしてきたのでしょう。崩れ落ちるもろい足場の上に立っていたようなものです。弱い心を堅い岩だと信じて。

 いつか歯痛がおきたとき

 「心頭を滅却すれば火もまた涼し」

 よし。

 「南無阿弥陀仏、般若波羅蜜多……」

 「痛い、痛い、痛い」

 死ぬのはやっぱり恐ろしい。歯痛でさえも心頭など滅却できるどころですか、痛い痛いと叫んでいる方が少しは楽で、心と体とはうらはらなものです。

 若い時の死は、生きる不安よりも安楽であり、老いの死は、もはや失望の崖ぶちに立っていながら、なぜにこんなにこわいのでしょう。

 悟ったような顔の下から、死ぬのは恐ろしい、死ぬのはいやだと心で叫んで死ぬだろう私、裟婆気(しゃばっけ)が多いのか、野次馬根性が強いのか、まことに平凡な愚かな女です。


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