良弁忌

小説で感受性養う 読経で心の安息

 せまい植松に寺が五カ寺あります。百メートル歩けば寺、また百メートル歩けば寺てす。

 春四月ともなれば、順番に永代経が勤まります。私どもは新しく分家した家なので、家としてはまだ仏がありません。でも私も老いたことですので、最近は檀那寺とお隣りのお寺さんへは、お詣りすることにしています。

 いつも最初はお経の合唱です。読経(どきょう)というのでしょう。歌の合唱とは違って、読経の合唱は、目をつむれば天国から聞こえてくる楽のような気がするのです。

第一文句が分かりませんでしょう。でもわかろうと神経をつかわなくて済みますから、禅の心境で聞いているようなものです。私の知っているのは般若心経だけで、これも昨年一年がかりでようやく暗誦したところです。いつか仏説阿弥陀経の口語式のものを読んだことがありますが、それによりますと、西方十万億土に極楽と名づくる所があるそうてす。

 仏 長老舎利弗(しゃりほち)=仏弟子=に告げたまわく。極楽には七宝(しちほう)の池あり、八功徳水その中に充満せり。池の中の蓮華は大きさ車輪の如し。舎利弗よ、彼の国土には常に天に楽をなし、黄金を地となす。昼夜六時曼陀羅華の雨(ふ)らす。また舎利弗、彼の国には常あり、白鵠(びゃつこく)、孔雀(くじゃく)、鸚鵡(おうむ)、昼夜六時(よるとなくひるとなく)鳴いて遊ぶ。

 舎利弗、彼の仏を何のゆえに阿弥陀と号する。彼の仏の光明無量に十方の国を照らす。その故に阿弥陀と名づく。等、等、極楽とはいい所だと書いてあるのが仏説阿弥陀経なんです。だからお経の合唱は天の楽とききながら、故人の供養を心に誓うのです。

 読経のあとお説経があります。私はお説教は親の説教でも嫌いな方なので、これは失礼して帰ります。昔私が今よりもっと純な心を持っていた頃、修身の先生の校長への媚びる姿を、また利害関係によって依怙贔屓(えこひいき)のあること、そんなことを知った時の驚き。そして、人の為には涙を流しわが為には汗を流す、といった愛汗運動があって、とてもその言葉に感動して、せっせとかよったこともあったのです。ところが、またまたその指導者の変な行為を見てしまったんです。今ならそんなこと、人間であれば何でもないとわかるのてすけど。

 道を説く人は、そういう背信的な行いをしない人だと信していたのです。それ以来、説教は私の頭の上を空ぞらしく流れて行きます。きれいで実のない、山吹の花のようなものになったのです。そんなことから小説を読んでいるほうが、色々と教えられることもたくさんあり、心の扉を開き目に真実の姿が写るようになったのは、乱読のお蔭ではないかと思っています。

心に残る植松の森よ

「わが家の、つい隣りにある小山に登って西を眺めるごとに―数十年前と同じ景色と申し上げたいのですが―いまでは大変淋しく感じます。子供の頃は、久宝寺御坊の大屋根、その右に八尾御坊、そして左に軍人の(肩幅の広い)姿のように、植松の森が高く見えました。その森があかね色に夕焼けるときの、美しい景色が思い出されます。植松にある八尾駅は、幼い頃、二里の道を歩いて父に連れられ、はじめて汽車を見た駅です。汽車は火をたいていました。ああ、割木をたいているのかと思ったものです。石炭というものを知りませんでしたから。そうして天王寺の博覧会を見て帰りました」

 この一文は植松から見て東山、恩智・垣内・神立など、山手にお住まいのあるお年寄りからいただいた手紙の冒頭です。なんて平和な、楽しい、なつかしい思い出の雫(しずく)でしょう。

 関西線が開通したのは明治二十三年(一八九〇年)天王寺で万国博覧会が開催されたのは明治三十四年です。

 そういえば恩智のかたから「大きな人が両手をひろげているように見える森が渋川神社の森ですか」と聞かれたことがありました。人の頭に見える部分は銀杏の大木です。いつも東向いて見ている森を、西向きに高地から見下ろした姿の、森の話を聞くのは、

私にとっては耳新しい驚きだったのです。

報恩講の真実は?

 さて、秋は報恩講が勤まります。大変恥かしいことながら、報恩講とは、自分達のご先祖さまに対し、今日我あることの幸を感謝し無事に暮らさせて戴いているのもご先祖さんあってのこと、このことを深く感じ、そのご恩に報ゆる為に、心をあらたにして努力を誓うことだと、思っていたのです。だから勤行のお経さんの大合唱の間中、父や母、祖父母、そして今は亡きあらゆる方々の、顔や名を想い浮かべて、ねんごろに回向し、有難うございましたと、勤行して下さるお寺さんへ、聊かの志を包んで、感謝をしていたのです。

 ところが、あにはからんや、報恩講とは、真宗開祖親鸞上人の忌日に、その親鸞上人のご恩に報恩することなんですって、大変吃驚すると同時に、知らなかったこととはいえ、とてもしらけた気持になった事もたしかです。

 親鸞上人さまとは、私にとっては遥かに、遥かに遠い人です。南無阿弥陀仏の名号を、となえるだけで成仏できると、説いて全国を行脚された一遍上人や、法然上人のほうが、まだまだ私には身近で、親鸞上人の歎異抄を読んでも、ビクトル・ユーゴーの、レ・ミゼラブルを読んだ時の感動ほどには、感化をうけておりません。

 これは私一人の感じで、私より年長の老人方は、まっとうに、報恩講の真実を味わっていられるのでしょうか。また一般大衆の若人は親鸞上人という昔の人に対して、どれ程の認識を持っていられるのでしょう。

 真宗のお寺さんが、自分達の現在の生活の源を、作って下さった方として、寺自体が報謝するのは、たしかに道理にかなった道であろうと思われます。

「それがし閉眼せば、鴨川に流して、魚に与えよ」と遺言された親鸞上人。

 それなのに今揺れ動いている、東本願寺のありさま優裟夷(うばい)、優婆塞(うはそく)、善男善女といえども、目を覆いたくなります。

 身行わずして、いづくんぞ人を折伏すべけんや

 大谷法主をはじめ、一門の僧侶すべて、もっともっと生きる苦労を味うべきです。

 天台の千日回峰行の、御僧の姿などは、三日の説教なくても、自然に頭がさがり、心身の浄まる思いがいたします。

 歎異抄に曰く、

 善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

 聖書に曰く、

 信ぜよ、さらば救われん。

 私如き虚仮(こけ)の俗物は、阿呆の一つ覚えで、南無阿弥陀仏、六字の名号を称え、信じて、あの世とやらへ行くつもりです。

目に見えぬ神を怖れる

 世の中にはいろいろな宗教があります。

 「私はクリスチャンです」とおっしやる方にも出逢います。そんなとき、どうしたわけでしょうか、その後に「だから善人です」と言う語が続くような圧迫感を受けるのです。「私は真宗です」なんて名乗られるのを、まだ聞いたことがありません。

 夫があっても処女懐胎、それにキリストの復活、死せるキリストが目の前に現われ、その傷に触れて見るまで、主の復活を信じようとしなかった不信の聖トマスの話。一度死んだ人が生き還るなんて「私はクリスチャンです」と人を見下ろして物を言う賢い人達は、この事柄を信じていらっしやるのでしょうか。

 磔刑(たっけい)にされて血を流した苦痛の人の姿を見るより、私は微笑をふくんだ伎芸天や、観音菩薩を見ているほうが、ずうっと心の安らぎと、美の音楽を聞くことが出来ます。それは偶像だといわれるかも知れません。けれども嘘ではありません。初めから偶像だと分っているのですから。

 天理教本部へも何回か参拝しましたし、「教祖みき」という本を読んだこともあります。ここには「ひのきしん」といった行事があり、私は私なりに「日の寄進」と呼び、一日という日を人のため、何かのために寄進するのはどんなに尊いことかと思って、この「日の寄進」という言葉を大切に心にしまっています。

 幼児がころんだりして泣きますと、打ったおでこに向って「悪しきを払うて助け給え、天理王の尊」と三回唱えて拝んでやります。子供は不思議そうに私を眺めて痛さを忘れます。時にこんな方便にも使用させていただいたりします。

 金光教は天理教より二十年後、川手文治郎とかいう男性の教祖さんが、天地金之神を主神として開かれたそうです。金光教を信仰すれば金持ちになれる由、でもお金に縁のない私は、金の光というものに大変な嫌悪感を持っていますので、何となく敬遠しています。

 倉敷へ行った時たった一度、金光教本部にお詣りしたことがあります。夕方で境内にはだれも居らず、縁に座って拝んでいましたら、二、三人が賽銭箱を持っておりてこられ、同行の一人が「あら教主さんです。こんな上から見下していては勿体ない」といって下に降りてゆかれました。教主さんも田舎のおっさんみたいな人で、生き神様だと拝まれたらどんな気持ちだろうと感じたことです。

 真宗の法主さんなど、何万の信者からお布施をいただいて生仏さんだとあがめられ、お剃刀(かみそり)を頭の上へ乗せたりなさっておりますが、借金をして別荘を売ったり争闘をしたり、大変な生仏さんです。彼も人、吾も人だと私は思っております。

 口では国木田独歩の無神論を、心ではキリスト教の天国を、仏教の極楽を、そのある事を信じつつ目には見えない偉大なる神の存在を懼(おそ)れています。


総目次、 一匹百七十円の塩鯖からの連想 小説で感受性養う 読経で心の安息 心に残る植松の森よ 報恩講の真実は? 目に見えぬ神を怖れる 大仏の心、家元は知らず