鵙の贄

生か、はたまた死か それは大問題でアル

 安楽死か自然死か、と巷では、この頃いろいろと騒がれています。恋愛ということでも、今の人はそれこそ自由自在です。

 太平洋戦争の末期、食糧難時代に疎開してきた姉一家の、食事の足しにでもなればと、食料配給のあるミシン工場へ姉と私と勤めたことがあるのです。若い人達にまじって相当年輩の婦人もおられ、座ってする手仕事なので、いつの程にか色々な話を聞かせていただくようになったのです。このときまで、このような社会と没交渉であった私には、何もかも目新しいことばかりで、社会の智慧、恋愛の智慧、すべてをここで教えられたようなものです。そのひとつ、中年婦人のお話。

 ここの若い人達は、好きな男の人のために進んで世話をしておあげになりますね。

 うらやましいことです。私が若い頃には男の人に接する機会もなく、それでも運よく、一人の男性を愛するようになったのです。でも表現することが出来ず、かえって会うときにはヨソヨソしくなるのです。相手もそうだったように思います。ひとつ前の大戦の頃です。

 この想いのたけを私にはどうすることもできなくて、ひたすら神様にお祈りしました。百日の願を掛けたのです、もし会えなかったら私の命を召しませと。そうしてあと十日位に、結願がせまった頃です。夏の夜八時頃だったでしょうか、真っ暗なお宮さんで何か人の争う大喧嘩が起こったのです。私は怖ろしくて怖ろしくて、どうして逃げて帰ったか分かりません。考えてみれば、命を捨てようという人間の、生への本能の強さを見せつけられた思いでした。

 その晩から熱を出して私は起き上がれず、母から『神様には、お願をかけるものではありません』と、たったひとこと言われました。母に気づかれていたこと、その愛をこのときほど、強く感じたことはありません。それ以来私は、死は神様のみ手にあるものだ、と思うようになったのです。いくら死のうと願っても『お前はまだ生きるのだ』と、神様が思し召せば死ねるものではありません。

私は深い感銘を受けたのです。それから三十数年、私の近くでも苦しさのあまり、殺してくれ、死なせてくれと何人かの人が叫ばれたのを聞いています。でも不思議に生きのびられた方々もございます。人の死について、はたの者が喧喧ごうごうとやかましくいうものではありません。それは神様のお定めになることです。天の祐(たす)くる所、知もまた何か論ぜむ。医師も看護人も、もっともっと神を怖れ、敬虔(けん)な気持ちを持って、ともに死の渕に立ってあげなければならないと思います。

 to be or not to be 生か、しからずんば死か。ハムレットのこの言葉を味わいつつ、人事をつくして後、死は神のみ手にゆだねるべきだと思います。

一匹百七十円の塩鯖からの連想

一人息子が留守なので、初老?夫婦が好きな物を食べましょうと、一匹百七十円也の塩鯖の冷凍ものを買ってきたのです。片身三切を焼物に、骨なしの片身を三杯酢に、頭やら腹のところは煮て、ネコの緑平のご馳走に。主人日く、

 「この寒空に、ひとつ間違えば命を落としかねない海からこの鯖を漁ってきて、さて業者の手に渡るときは、一匹何円くらいになるのやら」

 私どもの手に入る時点で百七十円、安いといえばそれまででしょうが、いったい何人の人手をこえ、幾多の口銭が動いていることでしょう。水を飲むときには、井戸を掘りし人の労苦を思うべし、とやら。

 「ほんとに漁師さんの苦労をおもえば、感謝していただかないとあきませんね」

 「米もや」

 「そんなこというたら、このお膳の上の物すべてですがな」

 「そうして、なんでも美味いと食べさせてもらえること」

 「健康は何物にも優る富ですね。きょうはお粗末さま」

 「いやいや、食べる物のない時代の苦しかった事を思い出して、おれは何を食べさしてもろても、おいしい、有難いなあとおもっている。一メートルもあるトカゲを食ったり、太い割木が積んであるなあと、よう見たら錦蛇の輪切りや。これが結構うまい。塩味も何もないが、それでも食えるもんや。それを思えば、腹一杯食べさしてもらえるってことは、どれ程有難いか」

 一匹百七十円の塩鯖よ、もって冥せよ。

 主人がきれい好きなので、掃除の嫌いな私はいつも叱られています。それでも前の川のゴミは主人が、横の路地のそれは私が拾います。そのたびに私は思うのです。ポイポイと道に煙草の吸穀を投げ捨てたり、紙くずや、バナナの皮、犬の糞、ときには人さまのものも、ペッペッと吐いてある痰、それらをひとつ一つ挟み火箸で取ったり、拾ったり、水で流したりしながら、実は私は、徳というものを拾わせてもらっているのだ、有難いことだと感謝するのです。捨てる人は、自分の持っている尊い徳をも、何気なく捨ててかえり見ないことに通ずるとおもうのです。

 有難いと感謝して食べる徳、まずいと捨て去る徳、そしてまた、その捨て物を拾う徳。

 私を馬鹿だと、ちょっとお思いになりませんか。でも私は、まだまだ駄目なんです。こうしてすぐに理屈をつけてしまいますから。


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