蟻つまむ

トラ、トラ、トラ

 十数年も以前のことになりますか―晩秋、嫂(あによめ)と姪と私の三人で、越前(福井県)は曹洞宗大本山、永平寺に一泊参籠を申し込んで出かけたのです。

 受付の寺務所の門前に立って「ははーん、ここも観光旅館並みやなあ」と思って、何々会社御一行様と大書した黒い立看板を、はしから読んでいたんです。すると一番最後に、「大阪、山野トラヱ様御一行」と書いたのが目について―

「大阪にも、私によく似た名前の人がいたはるもんやなあ。そやけどトラヱさん≠ニは、たいした名前や」と感心しつつ受付へ。そこで八尾の山野トシヱだ、と申し出たのです。すると、その山野トラヱさんが実は私。あいた口がしまらないほど、びっくりしたものです。

 まさか、同行三人の立看板が出ていようとは。トシヱという字を、つづけて書けば、トラヱになるのかと、それ以後は要心して、名前を書くようにしていたのです。

 さて、数年前の法輪寺三重塔再建、薬師寺金堂再建、東大寺屋根瓦ふき替え―等々、こんな時わが家では、いつも一番最低の寄進を親子三人でさせて貰っておりますが、それこそ貧者の一灯です。ところが後日、法輪寺より宝塔会の会員証が送られてきて、それに「山野トラヱ様」と。

 法輪寺では寄進者の名前を、塔のいずれにか記入して下さるそうなのでこれから先、千年、二千年、私はトラヱとなるのだなあと、複雑な他人の気持ちを味わったものです。

 この時以来、私は「としゑ」とか、「としえ」を使用しています。それでも「とらえ」となる時があります。余程トラに縁があるのでしょう。

 友達が言うには「私達、早生まれの卯年のもんは、兎(うさぎ)の皮を着た虎なんよ」「じゃあ、ときとして虎に変身しても、仕方がないわけね」

 ときどき、こうして「トラヱ」になるのも私の本性なのかしらと思ったりするのです。

 なにせ体重四十二キロ、カマキリの八つ割位にやせた、弱々しい骨皮すじ衛門の虎なんですから。

 それ以来、兎で相性が悪い時には、虎年に早変わり、やさしい弱さの必要な時には、兎年生まれに変身するという、自由自在な居直りの精神を発揮しています。

 一字の違いで、これはなんと変わるものでしょう。何事も、いい意味の方に解釈して、世の中をいつも明るく、美しく暮らしたいものです。

山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう

 一恵園随草は庭の木が主人公のつもりでおりましたのに、いつの間にか。いろんな枝葉に花が咲いてしまって、順に出番を待っている木々が「まだかまだか」と私に呼びかけているような気がするのです。出さなかったら「えこひいきだ」と、どなられそうなので、すみませんがつまらない花の話も、ときどき聞いてやって下さい。

 紫と白のライラックがあります。まだ小さいのですが、近くの友人の庭から貰ってきたものです。リラともいいます。竪琴(たてごと)の名になったり、イタリアなどの貨幣にもつけられています。芳香があって、ライラックという香水にもされています。花は堅そうで、余りきれいだとはいい兼ねます。何か余情がなくて、私の好みにはあいません。

 この花をくれた友達は、小さいときから韓国は京城の仁義洞という所に住んでいたのです。そして私は、今ひとり暮らしの未亡人である彼女の、青春時代の美しい物語りのきき役なんです。彼女の話とともに、一度も行ったことのない韓国の仁義洞は、美しい一巻の絵巻物となって私の眼前に繰りひろげられて行くのです。

 秋の月が皎々と輝いているのよ、雲ひとひらもない澄み切った空、見渡す限り寒々とした藍色にとじ込められた平野、つめたいつめたい空気、高い城壁、仁義洞も中国のように街をかこんで城壁がきづいてあったの、その城壁の上で、白い民族服をつけた老爺が煙管(きせる)を持った手をうしろに組んで、トラジという歌を歌うの月を仰いで。

 トラジ、トラジ、トーラジと、とても哀調を帯びた歌だったわ。それは統治されている悲しさを、天に向ってなげいているように私には思えたわ。そして夜が更けてくるにしたがって、遠く近く。

 カンカラ、コンコロ、カンカラカンカラと、きぬたを打つ音が虫の音を圧して聞こえてくるの。女学校を卒業し、結婚をし、たった一年半で彼は死んで行ったの、美しい夢だけを残して。その家の庭にあったのが、このライラック、さがしてさがして、やっとお逮夜で見つけたってわけ。平和をとりもどしたいま、飛行機で。この若き青春の思い出の土地を尋ねて行った友達は、余りの変りようにそれこそ涙さしぐみ帰ってきたって。私は、再訪しようとは思わないわ、それでも韓国は私の第一の故郷なのよ。

 一恵園に根分けして貰ってきたリラは、私の大好きな詩 山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう 噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて 涙さしぐみかへりきぬと、いつも私にかわって歌っているように思えるのです。

小菊とわたしは どっこい、どっこい

 秋霖の、しとしとと降る日、主人が花の公園、兵庫県立フラワーセンターを見学してきて、「余りいいことなかった」といいます。「雨が降ったからでしょうか」と私。

 「サボテンなんか、いくらでも殖えるのに、寄せ植は、何万円もの値札がついてるんやで。あんなトゲトゲしいもの、どこがいいのかなあ」

 「ほんとですね」

 「大菊もぎょうさん飾ってあったけど、俺はあの大輪の菊も嫌いや」

 「私も。ひょんなところで意見一致ですね」

 高いビルなんかの屋上へ登って下を眺めると、地上の引力のせいか、突然飛び降りたいような衝動にかられるときがあります。その衝動が恐しくて、「君子危うきに近寄らず」の金言を守っていますが、事さほどに、死とはこわいものです。

 それと同しだというと、たいへん語弊があるかも知れませんが、首枷(くびかせ)をはめられ、一本の竹に身動きならず縛られているというのに、大輪の花を咲かせて女王の如き栄華を誇っている菊をみますと、大手を拡げてひと掴みにして、その豪勢な花びらをむしり取りたい衝動にかられます。これは何とか自制心を働かせて、くい止めてはいますが、咲き誇っている割に、なぜかものの哀れを感じてなりません。

 誰も手入れしない溝の端で毎年、精一杯に小さな花を咲かせている小菊を見るとき、「頑張ってるね」と一輪いただいて便所に挿したり、「あら、こんな蔭で咲いててくれたの」と、一恵園からお墓や、お地蔵さんにあげたり致します。大輪の菊は、手塩にかけられて、愛蔵されていますから、こんな事はできません。

 高嶺の花、菊花展が開かれる十一月三日頃にもなりますと、あちらこちらで勲章やら表彰やらと、賑々しくさわがれます。

 そもそも月給をもらって学問をし、研究している人は、勉強するのが当然で、上は国会議員から下は村会議員さんまで、長年勤めたとて勲何等やら表彰やら―これが月給をもらってなかったら、成程ほめられていいことです。でも月給をもらっている以上は、一所懸命働いて、はじめて月給泥棒ではなかったと、いえるのではないでしょうか。

 月給もなく、手入れもされず、せいいっぱい咲いている小菊よ、お前は誰からも賞められず、一等賞ももらえないけれど、お日さまの慈みと、神の恩寵(おんちょう)だけは平等にいただいてるよね。

 世の片隅に生きている庶民の私が、小菊を好きになるのも、分相応どっこいどっこいというところでしょうか。

糸にすがって地獄めぐりへ

 「朝蜘蛛(あさぐも)はげんがええけど、夜のくもは親と見ても殺せ」といわれています。なぜ夜のくもは、親ぐもであっても殺さなければいけないのか、この年になってもその訳が分かりません。

 くもは蚊を食べるんですって。一恵園は蚊の集団居住区のようなもので、夏中蚊遣りのせぬ日はありません。それが原因かどうか知りませんが、大きな蜘蛛がよく出没するのです。私はくもが大嫌いなんです。あんなどす黒い汚い色をし、節だった四対もの足を持ち、大きなお尻をぶらさげている醜悪な姿を、神様がどうして造られたのでしょう。

 「うわあ、大きなくもッ、お便所へ入られへん、お父さーん早くッお願い」

 家中響き渡るような大声を出して、きっとくもの方でもびっくりしているかも知れません。主人が小さい箒(ほうき)を持ってきて叩いてくれるんです。 「あッしもた、逃げてしもうたがな」と主人。

 「またお父さん、横叩いたんでしょう」と私。

 「いいや、狭いから手元が狂うたんや、もうどこかへ逃げていったで」

 主人はいつも、ちょつと横を叩いて逃がすんです。手元が狂ったんや、と私をごまかして。

 芥川龍之介に、有名な「くもの糸」という一文がございます。大勢の人が、血の池地獄でアップアップしています。天国の蓮の池の辺りを散歩のお釈迦様が下を見て、この血の池の中の一人の男が、いつか一匹のくもの命を助けたことを思い出されたのです。

 お釈迦様は蓮の池から、細い細い一本のくもの糸をこの血の池地獄の、くもを助けた男の上へ、垂らしておやりになります。男はこのくもの糸に縋って、上へ上へとよじ登り始めたのですが、途中でフッと下を見ると、どうでしょう、この細い一本のくもの糸に無数の人間が取り縋って、ゾロゾロと上ってくるではありませんか。「このくもの糸は俺の物だ」と男は思ったのです。それで次々に登ってくる人間を、振り落としけり落としながら登っていったのですが、もうすぐ蓮池に手が届く手前で、プッツリとくもの糸は切れてしまって、男は真逆さまに元の血の池地獄へ落ちてしまう、というお話です。

 あさ、小さい小さいくもが広げた新聞の上などを這ってきますと、ちょっと吹いて向うへとばします。「お前は命冥加があるね」とつぶやきながら。そしてこの芥川龍之介の、くもの糸をちらりと頭の中に思い浮かべ、こんな狡猾(こうかつ)な女には、一本のくもの糸も降りてこないだろうなあ、と思うのです。

 主人には降りてくるだろうか、降りてきて上へ上へよじ登りながら、ポカンと上を見上げている私を見て「一人ほっといたんのも可哀想やなあ」と手を放して、私の傍へ落ちて来てくれるでしょうか。


総目次、 虚栄に身を焼く トラ、トラ、トラ 山のあなたの空遠く幸い住むと人のいう 小菊とわたしは どっこい、どっこい 糸にすがって地獄めぐりへ 生か、はたまた死か それは大問題でアル