春一人

賢い馬鹿になる

 落語の熊さん、八っつあんではありませんが、小説などにはよく、馬鹿とか、阿呆とか呼ばれる人物が出てきます。大菩薩峠の与八とか、国木田独歩の源をぢ、外国にはイワンの馬鹿、この少し足りないと呼ばれる人々に、それこそ汲めどもつきぬ、味わいがあると思うのです。大菩薩峠の与八などは、私の最も尊敬する人物です。

 いつか読んだ童話の中に、取り替えっこ、と、いったような話があったのです。

 あるところに正直な老夫婦が住んでいて、最後に手元に残った馬を、街へ売りに爺さんが出かけたのです。その途中で痩せた牛をひいてきた人に出会います。牛を連れた人が爺さんに、馬と取替えてくれといいます。爺さんは「はいはい」といって、痩せた牛と取替えてやります。牛をひいていた男は、「しめ、しめ、うまいこといった」と、呟いて立ち去ります。

 次に爺さんは牛を豚と取替え、そしてまた、豚を鶏と、またまた鶏をタマゴと取替えます。そしてやっと街に着きますと、街の浮浪人が、

 「爺さん、爺さん、おれのこのリンゴの入ったドンゴロス二袋と、そのタマゴと交換しないか」といいます。爺さんは

 「はい、よろしゅうございます」と、取替えます。浮浪人は、

 「ハハハハ、爺さんそのリンゴは腐ってるんだぜ」とあざ笑います。

 爺さんはその腐ったリンゴの袋をかついで家に帰り、

 「婆さんや、腐ったリンゴを持ってきましたよ」「それはようございました」とお婆さん。

 そして開いたドンゴロスから、何が出てきたか、皆さん先刻ご存知のように、腐ったリンゴは黄金に変っていたのです。

 小さい時、若い時、それこそ馬鹿な爺さんだなあと、文字通り考えていたのが、ようやく今になって、大人の迷妄(めいもう)をさます物語だと、気がついたのです。人をだますということは、天に向って、つばをはいているということです。如何なる人をも善人と信じることの尊さ、正直という上に馬鹿とか阿呆とかつけて呼ばれる人々の特権です。正直な頭にこそ神様が宿り給います。

 沈黙を重ねていても、現在の身の果てをみれば、過去の生きてきた道筋がわかるように、やがて阿呆でも馬鹿でも、正直の報いは、木の間洩る日ざしが、後光のように輝いて、己が行く手を照らすことでしょう。

 欲望や虚栄心や、自我心の強い現代人間社会にあって、正直な、賢い馬鹿になるということは、なかなかにむつかしいものです。

私の檜山節考

 いまは鬼簿に入られましたが、当時九十歳を数える老俳友が、私にはございました。

週一回、俳画のお稽古日にはお弁当を持って、朝からいそいそと出てこられます。

 「私はこの日が一番うれしいのです。皆さん方のお仲間に加えていただいたうえ、親切にしてもらって」と、涙をこぼさんばかりに話されます。一年ばかりのおつきあいの中で、時たま話された言葉をつなぎ合わせますと、この方は高等教育を受けられ、御子息は医者をなさっているそうです。けれど御本人は家の離れに、いつもいつも一人で座して、テレビを見るよりほかに仕事がなかった由。ある日新聞を見て、この俳画の先生の所へきたこと、死ぬまぎわになってこんな楽しみを見つけさせていただいた喜び等を、問わず語りに話されました。

 「家では嫁や若い者が、私をクサイというのです。そして三度の食事は、嫁が小笠原流塗膳を捧げて運んできます。だから私は、けっして息子達の団欒(だんらん)には加わりません。ときどき、東京に遊学している孫娘が帰ってきたら、私を楽しませてくれるんです」。

 なんの返す言葉もみつからず、ただ耳を借すほかはない私達も、悲しい思いに駆られました。

 ごめんなさいね。私も老人に、そんな感じを抱く時があるのですもの。

 色素が沈んで澱(おり)になって、皮膚の色が茶黒くなり、死ボクロなどという斑点が顔といわず手といわず、全身にでき始めますと、何をするのも無精になり、人様に遠慮して粧うことをせず、黒っぽい垢じみた衣類をだらしなく身につけ、哀れみと、同情を乞うような形になってしまうものてす。

 老いとは、死に近づくにしたがって、しだいに死臭が沈澱してくるようなものでしょうか。昔の優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)などの仏者は、そういう老いを避けて、自ら山中に入られたと聞くにつけ、姥捨(うばすて)の話がよくその間の事情を現わしていると思うのです。

 生まれいでて数年、その天使のような笑顔で親をよろこばせた、かわいいこども時代の面影を思い出の支柱として、血の涙を流しつつも、消え去り捨てられる悲しい身の果ての思いを、じっと心に包み込んでいなければならないのだなあと思うのです。

 このあと何十年か先、働けなくなる大勢の人を養うために、働かなければならない大勢の人。働く人達のために、働かない大多数の者は、レミングの大集団が海に向って歩いたように、種族保存のため何かに向って歩かねばならぬ時が来るのでしょうか。

 【レミング】ネズミの一種、体長一五センチ。北欧などに分布。ときどき大増殖して、死の大行進をする。(広辞苑)

としえ、夢語り

 床に入って目をつぶっていますと、色々なパノラマが瞼(まぶた)の裏に浮かんできます。二十代、三十代、四十代と、それぞれの時代に応じて、パノラマは次々と変わってくるものです。

 若い頃は、夢二の描く絵のようなロマンに満ちた恋の主人公を、子育ての頃は、野の草に覆われた井戸に幼児がスウーツと吸い込まれるという、恐ろしい危惧の思いに。そして頭に描く主人公の姿も、齢とともにだんだんと色あせて、灰色のベールの彼方に遠ざかっていきます。

 最近は、高安城の礎石を一度見に行きたいと憧れていたせいか、雑木林を歩いて行かれる「探る会」一行の行列が、まざまざと瞼の裏に浮かぶのです。

 丸顔の、陽に焼けた童顔が、いつもニコニコと笑って―これは棚橋会長さん、長身でガッシリ、そして少し控え目な―岩永事務局長さん、いつもこまめに雑用の世話をされている坂上、佐々木両夫人。

 高安城を探る会を知ってから三年越しの念願が叶い、去年十一月、山登りの一行に参加する事ができたのです。雨が降っても槍が降っても行こうと思った一念で、この日は大変よいお日より。全山紅葉の錦、総ての土を埋めた落葉、そしてその落葉の下に千三百年、黙って座っていた礎石たち。

 千数百年を経て、相まみえた石と人と、その感慨はどのようなものだったでしょう。

人びとは喜びの叫びを、石はキーン、カーンとナマの歓声を。その声に人びとは、恋人が生き返った程のいとほしさを、胸に抱かれたことでしょう。

 私は何もしないで、その古代の石の上に、もったいないような、済まないような心で、立たせてもらったことです。

 昔むかしの日本は――北方騎馬民族説、南方海洋民族説、九州邪馬台説、畿内邪馬台説、さまざまな御高説が発表されています。時には奇想天外な説も飛び出してくる壮観。

 どれ程の調査をなされたのか知りませんが、故関野博士の、高安城の線引き、偉い人、名のある方がたは何を発表されても、吾々はもっともだ、どれを読んでも成る程と、信じることにうろうろします。

 湯川秀樹博士は、ウツラウツラの床で中間子論のひらめきを得たとやら。まして三年も歩いて調べられた高安城、六棟分の倉庸の礎石の裏打ちを土台に、点と線をつなぎあわせ、想像と空想を織り交ぜて高安城を探る会説を一発、蛮勇をふるって堂々発表されたらいかがでしょう。

 三年歩かれたという足の霊感、体感、第六感は時として、真実につながる道につづくものです。

虚栄に身を焼く

 髪を染めようか染めまいか、染めようか染めまいかと、散々迷った頃があったのです。

白髪が多くなり、ぴん髪は薄く、やせた顔にしわがふえてくると、われながら哀れな女の姿。こんな顔をひっさげて、よくも恥かしげもなく外を歩いているものだと、ときには、やる瀬ない気持にもなったりするのてす。

 だから、少し髪でも染めて若くありたいなと、なんぼか心の中で思いなやんだものです。

 頂度その頃、虫歯になって病んでいたんです。痛くて痛くて。十六歳の昔、母の供をして歯医者さんへついて行き、ふとしたでき心から―多分私の若さがそうさせたのでしょう―下に一本金冠を、上歯に額ぶちを入れてもらったのです。ちっとも悪くない歯に。

 それから三十数年、その金を冠せた歯とその両隣りに虫がついて、とうとう三本を抜いてブリッジが架かり、上の額ぶちも中に虫がついて、いっしょに白いさし歯となったのです。

 哀れ、虚栄のはてがこの始末です。どんな上手な技工の入れ歯とて、自然の歯にまさるものはありません。

 髪の毛も自然のままで置こうという決心が。こうしてやっとついたのです。そもそも、おでこの上や、びん髪の薄くなったのも、昔むかし焼ごてで(まだパーマのない頃)ジジッと焼いてちぢらせたり、ついうっかりと火傷(やけど)をしたり、その結果ではなかろうかと、ようやく遅ればせながら気がついて、不精者らしく老年をさらけ出して、ともすれば顔を出す虚栄の心をつつしんでいます。

 「パーマをかけて髪を染めて短くしやはったら、若く見えてよろしいのに」。ああ、なんて誘惑に満ちた言葉でしょう。

 いま日本の女性は、総染髪時代に入った感があります。企業のかたには申しわけないのですが、これでもか、これでもかというようなテレビの毛染め広告。今の世は若くても茶色に染めたり、老年の方がまっ黒に染めたり、色々なさっておられますが。さて老年を迎えたとき、染めるのを止めたとき、皆さまどんな髪になっていられることでしょう。

 虚栄というものは、そもそも身を亡ぼすものだと思います。けれど、その虚栄という美酒に立ち向うには、非常な勇気が必要です。勇気を失うことは、総てを失う事です。

 幸という天上の美酒もときには外観だけでなく、大切な心をも見失わせるものです。


総目次、 続・手紙のすすめ 賢い馬鹿になる 私の檜山節考 としえ、夢語り 虚栄に身を焼く トラ、トラ、トラ