やすらぎの古里

河内西国巡礼記 九

  山野としえ


 第十一番 一心山来恩寺 八尾市恩智

 東高野街道を走って、一の鳥居の横を走り、目なし地蔵を拝み、府社恩智神社の山裾に着く。

 この寺は、来福寺と恩覚寺を合併して来恩寺となりしと。本尊阿弥陀如来に向い心経を捧ぐ。奥野和上曰く、

 「心経を一回あげたら命一日のびます」

 と、心経はそれだけの功徳があるそうです。

 「この寺は恩智神社にあった四つの宮寺の第一で、弘法大師の本地垂亦説によれば、神は仏であり、仏は神である」のだそうです。だから明治初年まで、神社と寺はくっついていたわけです。

 法語 正精進 今日は雑念を去り、仏に経を捧げ身も心も慎んで一日の長命を戴いております。

これより山上の、第十二番天川山感応院へは車で横の道を上まで登って下さいました。

 恩智神社では若い衆が夏祭りの用意を、早くも整えておられ、神社に一礼、数段降って寺に入り、国の重要文化財十一面観世音菩薩様に奉経。

この寺も恩智神社の別当坊で、六坊の筆頭坊ですと。さすが府社であり、住吉大社、枚岡大社と並ぶ古社であります。

 神武天皇東征の時、難をさけられた木を「母木」というと話が神代の昔となりますが、恩智神社の祭神も渋川神社と同じく、饒速日命即ち物部氏の遠祖で、いかに物部氏が古く、かつ強力であったかが分ります。

 僧愛石作庭の緑の名園を眺めて昼食を戴き、心をこめられた玉子汁のおもてなしにあずかりました。

 感応道交 一汁に仏を感じ、そんなやさしい道を歩きたいことです。

 第十五番 徳宝山大通寺 八尾市教興寺 本堂の正面に大きな衝立があって、三宝功徳と、美事な墨書に先づ驚かされました。

 誰の見る目も同じ後程 「どなたの書ですか」と、たづねた人があり、この寺の娘さんの由、日展の審査員をされているそうです。

 寺伝に曰く”真言律宗教興寺の一院たりしが、後融通念仏宗の大通上人の再興により、大通寺となれり”と。

 衝立を廻り本堂に登るや、机あり、その上に茶碗あり、アイスクーラーによる冷茶あり、茶菓子用にこんぶとコンペン糖がのせられています。

 ずうずうしく厚かましい婆は、まづこんぶを頂戴し、その後歯にはさまって難儀をする。仏罰たちまちに下ったことです。

 仏前両端に、十界一念融通念仏、億百万遍功徳円満の聯。薬師寺前貫主・橋本凝胤師の筆になるそうです。庭前に近松作の有名な、曽根崎心中のお初徳兵衛の夫婦塚があります。お初は教典寺の村娘です。

 法語 三宝功徳 最勝量難 み仏の慈みははかりしれない程、いっぱいです。


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