やすらぎの古里

河内西国巡礼記 八

  山野としえ


 雨は相変らず小降り、壺井寺を辞去し、バスに乗って、

 「こんどは外を見よう」と私

 「あれえ!山がないね」

 「南向きや」打てば響く信さんの返事。お日様の影が分らず、方向音痴の私には山あるのみ。雨に濡れた山は又格別です。

 竹原井の霊水前に下車河内六大寺順拝の時の称徳女帝は、きっと、この竹原井の頓宮に宿られたであろうと思う。

 第九番天冠山観音寺 柏原市大平寺、

 緑のぶどう棚の下や、桜の新樹の下や緑の中を緑にそまりつつ、細い坂道を登ります。

立ち止って休んだりハアハアいったり、口を開いて息をしたりしつつようやく登った山の上、人皇三十三代推古天皇の発願により聖徳太子ご建立の、名刹智識寺の法灯を継ぐ寺であると。

 千二百年昔、聖武天皇難波の宮に行かれる途中智識寺に立ち寄られ、その本尊大仏の偉大なるに心動かされ、東大寺大仏建立の発願をされた由。

その消え去った大寺の第一の塔頭、観音寺が今にその名残をとどめています。智識寺の塔の礎石は麓の石神社の鳥居の所にあります。帰途竹原井のまろやかな水を戴く。植松の○夫人曰く、

 「私は大平寺の生れでもう五十何年、今この寺へお詣りするのが始めてです」と。

心随万境転。転処実能幽、何となく心に分りそうで口に分らない?法語。

第十三番不断山元善光寺 八尾市垣内

 いつも七墓詣りの途次拝んで縁で休ませて貰う寺。今日はご先達奥野和上のお蔭で、本堂へ上らせて貰いました。外見は荒寺みたい、中は金色燦然と、美事に荘厳されています。

 和上曰く

 「昔、物部は軍部の大臣、そして千代よろずの神、神社の元締め。用明天皇が病気になられたのは、蘇我が外来の仏像を尊崇するからだと、物部が難波の仏像を堀江に捨てたのを、信濃の本田善光が拾って、難波を見下すこの高台に寺を建てるつもりだったんです」と

しかし善光は、故郷信濃に仏像を負うて帰り、再びきてその分身をおまつりしたのが、この寺の起りだそうです。

 隣りに座して心経を誦する信さんは、神妙に数珠をつまぐっています。

 「えろう信心深うおまんなあ」と私、

 「客商売やから腹が立つ時おまっしやろ、怒ったらあかんから、そんな時はこうして数珠を一ケづつポケットで送りまんねん」

 「成る程」

 年寄りの婆、えろう感心。

 この寺には八尾の三名樟の一つ、天然記念樹、”奇特の楠”と称される直経七メートル千何百年の大木があります。

仏心者大慈是以無縁慈摂諸衆生 僧曰く「法語は分らんので有難うおまんねん」


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