やすらぎの古里

河内西国巡礼記 七

  山野としえ


 昭和五十七年五月三十日 日曜

西国巡拝の三回目の日です。朝からほんの細雨、誰かが、

 「今日は八十パーセント雨やそうよ」

との発言があったのに、誰も反発しない所をみると、全員そのことを承知の模様です。

 ご案内して下さる奥野勝軍寺和上さん、左手捻挫されてギブスをしていられます。でもいつものように、にこやかにお元気のご様子、安心いたしました。

 本日お参りする寺の順番を紹介、九ケ寺もまいるようです。相変らず小雨の中、九時出発、北向いて止まっていたバスが、そのまま走ったので「ああ北向いて走っている」と思っていたら、今日、前に座った、河内の悪太郎こと信さんが、

 「何、寝呆けてるねん。向うに山があるがな」「ハハン!さては東向いてるのね」

 こうして東向いて着いたのが、第七番護法山壺井寺、柏原市法善寺なのです。山門の前に”神仏は尊ぶべし、頼むべからず”と書いてあるこの寺は、融通念仏宗で本堂の建物は、植松の法覚寺のように、高い屋根の棟の両端に瓦の鯱が逆立ちしています。

 称徳天皇のご建立とか。称徳天皇と聞くだけで、道鏡に熱中している私には、なつかしく近しい方に思えて仕方がありません。

 その頂は法禅寺と名づけられ、七堂伽藍が雲表高く聳え、その名の故にこのあたりを法善寺と呼

ばれています。

 天正の頃の兵乱に、すべてを消滅し、後塔頭であった壺井寺が再建され壺の形をした井戸の上に聖観音をまつり、霊水は安産によくきくといわれています。

 昔この地方には落雷が多かったそうです。奥野師旦く

 「日が西に沈むと、河内は暗がりになるといわれている。それ程河内平野には、大木が沢山あったので、その大きな木に雷が落ちまんねんがな」

 井戸に雷神を鎮めたので、避雷観音とも称されるそうです。

 この聖観音は、白鳳時代の金銅仏で、像高二十センチ三面宝冠を頭に戴き、右手は垂れて天衣を摘み、左手は螺旋状のも

の(さざえの貝を伏せたようなもの)を捧げておられます。何となく奈良法華尼寺の国宝十一面観音様が、蓮池の蓮の葉の上をひよいと右手に天衣を摘んで、渡っていられる姿が彷彿と思い浮びます。この十一面観音は光明皇后に似るとか。

 壺井寺の小さい聖観音は童顔にて、光明皇后の御姫、称徳女帝とは、このようなお方ではなかったかと、法語の和顔愛語の字句そのままに、遠い昔の称徳女帝、すなわち阿部内親王が、この像と重なって偲ばれてならなかったのです。一ヵ寺で一回分になってしまいました。

 


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