やすらぎの古里

河内西国巡礼記 六

  山野としえ


 この鐘の響きも、撞く人男女それぞれに違います。やさしくホーンと鳴るのはやはり女の人です。いつも箒目のついた道を山門へ、そして三百年を経たという古い庫裏へ通され、茶菓子を戴き自然の庭で心をゆるめます。長あい友曰く、

 「作ってある庭もいいけれど、自然の庭もいいね」と、やわらかくていい言葉をいう。

 私、心で曰く「作ってある庭は、権威に隠された力に威圧されて心が安まらない。自然の庭はすべてを黙って受け入れてくれる」

 若坊さん曰く、

 「自然の庭でも手入れはなかなかでっせ」と。最も完全なもの菩薩の道場、それは寺です。そうです。私の最も好きな寺、高貴寺です。

 第八番 源照山青谷寺 柏原市青谷

 植松に住んでいる私共は、青谷という声はよく聞きます。なぜかと申しますと、古代より往来があったからです。

 青谷寺へゆくには、大和川に沿って車が走ります。昔、川は最大の交道路で、その大和川の下流に植松は位置していたからなのです。大和川に沿って車が走ると、広い川洲いっぱいに、菜の花が真黄に咲き乱れ、流れに反射する太陽の光線で、その花が銀色にまたたきます。そよ風に吹かれて花がゆらぎひる返って、金銀の花びらがきらきらひらひらゆれて、まばゆいばかり広大な自然の景色が、繰りひろげられていました。

 この大河一と筋で、植松と青谷はつながっていたのだと思うと、とても他人ごとだとは思えません。近いお隣りさんといった親しみが沸いてきます。

 青谷寺は、近在近郷に存在する寺の名と村の名が同じで、きっと、龍華寺が龍華村にあった如く古く、仏教伝来と同時に建立された、聖徳太子に関係ある仏閣の一つであろうと思われます。

 度々の兵火にあいながら、堂上、堂下、大門などの地名が残され、そのうえ寺自体が残されているということは、大変幸なことです。又、その寺内には鎌倉時代作と伝えられる、木像、丈余の阿弥陀如来立像、十一面観音、聖観音などの諸菩薩、本堂に並びおわしまして、荘厳をきわめております。

 本日最終参拝の寺とて日も西に傾き、新樹うっそうと覆いて、ようやく暮れなずむ庭前に、紫紅色大輪のぼたんの花のたゆたいに、暮色の紫色がすべてこのぼたんの花に凝縮してしまったように思われ、疲れた心を癒されて、又、大和川に沿い、菜の花群を眺めて帰途についたのです。

 摂取不捨の法語。

 阿弥陀さまは、私達衆生を決して捨てたまわず、必ず救って下さるということだそうです。


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