やすらぎの古里

河内西国巡礼記 三

  山野としえ


 昭和五十七年四月二十四日 土曜 快晴

 河内西国三十三ケ寺巡拝の第二回目です。精進よき人達のマイクロバスは、さすがに男性四名、土曜日はまだ男性にとっては労働日、女性の方も少々?齢を取り過ぎた老性の多いことです。バスが九時出発したと思ったら、五分もたたないうちに停車、第三番初日山常光寺 八尾市本町五丁目近鉄八尾駅の北からガードをくぐって南に抜けただけです。

 仁王門前は植木屋さんが店を張っておられたのが、今日来てみれば食堂と喫茶が向い合って、その中を通って山門に到ります。

 まあ!これが常光寺の門前かいなあ、としばし迷うほどの商店街の中に生きていられます。天平時代布施屋の一院として行基菩薩の建立、ご本尊延命地蔵菩薩、本日は大般若会修行の日に当り、秘仏ご本尊ご開帳。有縁なりけり厨子の御前にて五尺三寸の尊容を拝す。

 去る五十四年やお文化協会主催で倉吉にいった時、関金の丈六の地蔵尊を拝したことを思い出しあの地蔵尊と共に日本の三地蔵のお一方だとのこと、こんな立派な地蔵さんが八尾の地に鎮座ましましておられるのは大変嬉しいことです。

 法語、随処作主、立処皆真こんなむつかしい語は、俗人の私には分りません。

、第二番龍興山金剛乗院念仏寺、八尾市久宝寺二丁目。お地蔵さんの前からバスに乗ったらすぐ下車。昔久宝寺村の名のもとになった久宝寺の観音様です。

 聖徳太子建立四十六仏閣のうち二十二番目に当る由、久宝寺はこの寺の寺門町として成立したのです。その後度重なる兵火にあい、ご本尊十一面観音様は、伊賀、下津、近江と国々を流転され、河内の人の夢枕に立って久宝寺村に帰られ、又々明治には布施の長栄寺にあずけられたり、放浪の末やっと、この久宝寺観音院念仏寺に現在手厚く居候されています。鎌倉時代作といわれる観音様の、木像の繊細な頭部十一面、光背そして衣紋めすべてがまずはご無事でおわします。

 又、聞くところによりますと、久宝寺という寺の吊鐘は、ソビエトのどこかの博物館?にあるとの話です。嘘かまことか、あんな重いものも流浪するのでしょうか?

 お寺はこじんまりながら、庭の手入れもよくゆきとどき、小さい水盤の小さい水蓮の茎、十二単衣、紫のおだまき、白い花菲などがお参りする人々の足許を賑わせています。

 諸悪莫作(まさく)悪いことをしてはなりません。

 諸善奉行、よい行いをしなさい。その通りでございます。寺を浄め仏を守り人に花を奉る。この法語というものは、その寺の顔をしていると思われてなりません。


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