やすらぎの古里

河内西国巡礼記 十八 終

  山野としえ


 今日は日曜にてバスの運行スムーズの由。

特別客番 大源山大念仏寺 平野区平野

 融通念仏宗総本山。本堂銅板葺、緑青がでて大屋根全体に青緑色の錆がついています。高い屋根、大きな建物、京都の東西本願寺に匹敵する、いやいや開祖良忍上人が天台を出て融通念仏を始めたのが一、一一七年、親鷲上人が生れるよりも早いのです。

 鳥羽上皇の勅願寺で、この河内平野の平野に建立され、その頃の平野は後世の堺の自治都市のように、独自の繁栄をきわめていた土地なのです。 毎年五月一日より始まる&ス野の万部と私共がいっていた万部法要が始まると、近郷近在からお詣りしたものです。これ程大きい念仏道場が、河内大和などの近郷のみより遠くへ発展しなかったのは、どうしてだろうと、不思議に思っています。

 勿論本日巡拝してきた他の寺と事変って、お詣りの人は多く、何か納骨か法要を何ヵ所かで行われ、私達もなるべく仏前近くに座って大きな声で心経を誦し、数人が残って護摩木を奉納。いろいろ印された護摩木を、無心で手にした一片が、私の願いにぴったりだったのでとても嬉しく思ったことです。

 天井近い横木に、本堂を取りまいて大きな数珠繰りのお数珠が、滑車で吊られていました。

 法語 融通念仏十界

わかりません。

 第一番椋樹山大聖勝軍寺 八尾市太子堂

 一番後になった一番の勝軍寺、なじみ深い寺、我が家に帰ったようにほっとする寺、私の小学校はこの寺の前にあったのです。

 午後一時、思惟観音にまず奉経、それから昼食の御斎を頂きました。お腹が空いていて、おいしかった事。禅とは?空腹のようなもの、何を食っても聞いても実になるそうです。

 法語 和以為貴 和をもつて貴となすこれは知ってます。広くは世界の国々も小は貴方と私も、和、これがいま最も大切なことだと思います。こうして重ね重ねて五回三十七ヵ寺を参拝、障りもなく無事完拝させて頂いた人は八人、そしてこの前の飛鳥十五ヵ寺の三回より続けての満願は、阿部、一柳、山野のたった三名、ともう一人全部先達して下さった奥野和上さん、ということです。続けられたということの如何に大切であるか、それは無事ということの一語につきます。お参りをさせて頂いた寺々には、それぞれの顔があり、縁起があり、歴史があります。そして長い道程の間には、さまざまの人の足跡が、あります。それを書き残した所もあります。それは≠竄キらぎの古里、河内西国巡礼案内記にくわく書かれています。

 事務局=長栄寺 〇六−七八一−〇七九七

 奉讃会=大聖勝軍寺 八尾−二二−三〇〇〇へお問い合せ下さい。やお市民新聞に掲載の私の随筆はすべて参拝した実記です。

 芙蓉生けて今日一日の一会哉    としえ。


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