やすらぎの古里

河内西国巡礼記 十六

  山野としえ


 昭和五十七年九月二十六日 日曜 晴

 河内西国三十三カ寺も五回目の今日で終りです。台風十九号が、昨日迄うろうろしていて少々気がもめたのですが、無事通過。

 この台風一過後、涼しい秋がやってくるかと、心待ちした甲斐もなく、前日迄のやや寒、が一変してむし暑い空気が流れ込み、秋暑し、になってしまったのです。

 二十二度で和服を着ていた私も、又々二十七度、箪笥にしまった夏服を、しぶしぶ引っ張り出して、今日は背中を丸めて洋装?です。しゃんとして歩きたいと思うのですが、そうすると、そり返って偉らそうばって歩いているように見えるので、ついつい気を使って俯向いて歩くくせがつき、今からではとても空を見て歩けません。

 仕方がないもう年だから、年を背中に担いでその重さに丸まったまま歩いていこうと、開き直っているところです。道を歩いて、ガラスに映る自分の姿を、横目でテラチラと見ながら、近鉄八尾いつも出発する場所に着いたのです。七月、八月お休みだったので、三カ月振りに会う笑顔の皆さま、とてもなつかしく思いました。この回でお別れするってとても淋しいことです。会うは別れの始めといいますが、何回お寺にお詣りさせて頂いても、凡婦の私は、やはり悟りなど開けず、淋しゅうございます。悟りには遥かに遠い此の岸にまだおります。今日はお彼岸の最終日だと誰かいったのに。

 第十三番、円通山観音禅寺、東大阪市稲田

 最初にバスの止った所。本堂は内陣、観音菩薩の厨子の安置されている所、観音様は大阪夏冬の兵火に焼け落ちた後、大きな松の根元の土中から出現されたそうで、この内陣の天井は一番高く、その前の勤行座の天井は低く、私共が座る外陣の天井は最も低くなっている、変った建築で、元禄三年の建立。大きな太い敷居が踏まれて、減って溝が消えています。

 円通山の大掲額のある山門は、みかえりの門とも呼ばれ、昔この山門の門前を、菱江川(土地の人は、ひっしえ川と呼ぶ)が流れていて、参拝の人はみな舟で参られたそうです。そして帰途、

舟の上よりこの門を見かえると、寺や門じたいが、高いところにあったので、門が少し前に傾いているように見え、それが遠くなる程、山門がついてくるふうに見えたそうです。

 中天に照る月が、歩くにしたがって自分についてくるように見えるのと同じ原理だと思います。

昔大和川が北流している頃、北より青田川、恩智川、菱江川(玉串川)それに久宝寺川(大和川)平野川が貫流し、深野池や新開池などの池があって、河村瑞軒の見聞記にも書いてあったこのあたりは、稲田桃の一大産地だったのです。で宝印帳には桃源窟とかかれています。法話、残心、山門を見返り見返り、心を残して辞去いたしました。


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