やすらぎの古里

河内西国巡礼記 十一

      二十三か寺を終りて

  山野としえ


 三回目は小雨ながら、九か寺もお詣りさせて頂きました。一か寺づつ写真を写して貰っておかないと、どこがどこだかさっぱり分りません。

 「忘れたら又詣りなはれ」と、奥野和上様はおっしやるでしよう。ほんとうにその通りです。

何回もお詣りした寺はよく覚えています。しかしこんなよきご縁に恵まれなければ、婆の細足でそうそうお詣りできるものではありません。

 寺は、どのお寺さんも花木が綺麗に整備されていて、旬の花が色とりどりに咲き乱れ、参拝する老若男女の心を浄め、優しく迎えてくれます。

 物言わぬ自然は、沈黙の仏さまと同じように、そこに額づく人の心を、豊かになごやかにするものだとつくづく感じたことです。

 大層不敬虔な女である私は、どんな仏さまだったかなあ、と、お姿を忘れても、不思議に付属物の花や樹木をぱっと思いだしたりするのです。

 愛らしいピンクの花、緑滴たるブドウの棚、石垣に開く白十字、十薬の花、お便所に活けられた下野の花、下野は栃木県野州の花、そして下野は道鏡終焉の地の花なのです。

 それに今日は、どのお寺さんでも茶のお接待を受けました。奥野和上さんのお陰であろうと感謝致しております。なぜなら、私のような婆が一人、道鏡取材の為、未知の隠れ寺を尋ね当てましても、門前払いになりかけた時もあり、そんな時は淋しく劣等感をかみしめるのです。

 このような虚仮が九か寺もお詣りして、ようこれだけ覚えたはるなあ、と感心して下さる方があるでしようか、写真は全部忘れてしまいます。悲しいことながら。

 第一、最初にお詣りした時の写真を頂いて、「あれ!これはどこのお寺だったっけ?」

 と、全然思い出せない寺もあったのです。だから掌を合せて、誦経して、さてわがことも病める人のことも悩める人のことも、お願いすることの総てを忘れて、ひたすらメモをしてくるのです。お僧の話、奥野和上の話、花を空気を水の声を。ポカーンとしていたいなあと思う時もあります。が書き留めておかないと忘れるのが惜しいのです。

 考えて見れば、こうして詣らせて頂くのにも、どれ程多くの人々の、ご尽力や好意の上に、乗せて貰っているか分りません。

 その感謝のため又一つには、奥野勝軍寺住職が河内飛鳥顕彰に尽力していられる姿に、せめて一分のたしになりはせねかと。

 成るかならねか分りませんが、もっともっと河内をPRしなければと、このづうづうしい婆は、使命感に燃えて、呆け頭を叩き叩き書いている次第なのです。


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