やすらぎの古里

河内西国巡礼記 十

  山野としえ


 第十六番 獅子吼山三昧院教興寺 

 八尾市教興寺にあるこの寺は、われわれ河内もんには、寺と村と重なって覚えています。昔は村が寺か、寺が村か、鶏が先かひよ子が先かといったところです。勿論、人間様が先でしようけれど。

 金堂弥勒菩薩座像の御前で奉経、寺主曰く

 「弥勒は釈迦入滅後、五十六億七千万劫年の後この世に現れ、衆生を済度して下さる」そうです。仏教とは分ったようで分らんようで、「劫年の劫とは、永遠に流れる時間と、無限に拡がる空間のことでんなあ。まあ今の時間を大事にしなさいということだ」これは奥野和上さんの解説で、なお河内七大寺のうち、とにかく残っているのはこの教興寺一カ寺だそうです。寺の境内は広く、昔は池を渡って本堂にお詣りする寺で、現在も鐘楼あり、歩む道の左右に池があって、一つは黄の花菖蒲がつまって満開を過ぎ、他は池の中に大きな仏碑のようなものが建っていました。

 聖徳太子の発願にて、秦川勝が興起した寺、弘安の蒙古襲来の折、亀山、伏見院の御幸あり、この時、西大寺の叡尊が蒙古降伏の祈願をなし、又近松門左衛門は寺に久しく寄宿して、多くの物語りを書いたと伝えられています。

 法語 一味和合 仏の理は平等である。

 第二十五番 蓮台山常楽寺 八尾市郡川 車の止まった所が山門の前、融通念仏宗十界一念の聯の文字は同じ、法語↓念々不離心

 本堂の雨落ちに受けられてある盤に可愛いい清らかな白蓮が、一花浮いていました。花はいつ迄も人の心を捉えて離さないだろうと思います。

 今日最後の九番目の寺は、高安山上の

 寿福山梅岩寺 第十四番霊場黄檗宗 八尾市教典寺です。山門、本堂、庫裏すべて新築、前庭の真中に四角の石柱あり、表、奉寄進人足壱千四百拾人、裏、従安永四未〜天明弐寅迄、右横、施主山本新田中、左横、木村文八郎、光井宗兵衛建之、人足の寄進も珍しく、又山本新田が出たので写しておきました。

この寺は西よりくる台風の当り場所とかで、山門の寿福山の掲額は隠元黄檗宗開祖の書故、本堂に収納され、夏目漱石が好んだ字という、中国高泉筆の二つの聯は、字は読めても意味は遠い国からきた文字、楊子江みたいな大河、分るわけないでしようと、話されました。

 ここの秘仏弁財天は、八つの手にそれぞれの武器を持っていられるそうです。

 宝印帖の普門殿とはいつも開いてある門という意味で、法語、世間虚仮唯仏是真

 人は皆おろかで仏のみがまこと。こんな解釈は虚仮でしよう?

 一日に九カ寺参拝。ここまで書いてくるともうくたぶれて、何を書いているのか分らない。日延べをすれば忘れてしまうし、やっぱり虚仮ですね。私も。


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