裸苑訪問記

一恵園住人

 台風十六号が、今日くるか、明日くるかと、新聞紙上に、人々の目が釘付けになっていますのに、なかなかやってこないのです。

 「雨でも行くんですって、よろしく。」と、電話の声、

 「へえ!大した度胸だなァ、中止という連絡があるかと思っていたのに。」

こんなことで、やお文化協会≠フ面々は、雨が降ろうが、風が吹こうが、台風が今にもくるとの予報であろうが、いっこうお構いなし、皆々、雨装おさおさおこたりなく出かけたのです。

 国鉄八尾駅から、関西線王寺、行く先不安な連中はタクシーに、所が下車した頃から雨が止んで、断じて行えば鬼神も力を借して下さるのでしょうか、数日前の暑さもなく、心よき爽やかさ、そして雨に洗われた木々のみずみずしさ小屋の主人の姿を見とめた、誰かさんが、

 「あっ、こゝやこゝや。」

塀のない、ひくい石積みの上から萩の小花が土に散り、芒が招いてくれています。

 門を入れば、丸木を打ち込んで囲んだ池に、赤い子鯉でしょうか金魚でしょうか、ヒラヒラ。中ノ島と母屋の玄関前には、真白の花芙蓉が、とても大きな花を、ひくく垂れこめた雨雲の、小暗き中にポッカリとひときわ清く咲いています。昨日の咲き残りも地に落ちた花も見つからず、今日を命の花ばかりに迎えられ、とてもその心くばりの程を感じたことです。

 「これ大根かしら。」

 「大根にしてはきれいすぎる、黄緑色の葉があぎやかね。」

 「こちらは大根らしい葉っぱよね。」

 「大根も幾種類もまいてあるのか知ら。」

 「いちぢくの木が沢山ある事。」木類はいゝ加減の高さに剪定されて、下に作られている野菜類に、よく日が当るようにされています。

導かれるまゝに、主自称の仕事小屋へ、軒にははやぎつしりと画と焼物のいろいろが並べられています。可愛らしいお地蔵さんの絵、百合の花、アンソリユーム、カボチャ、天と地の空門、土の上に陽の下に。太い魂のように横たわっている、南瓜、きゅうり、鍬、とれとれの野菜を書いた日本画の大作、赤いろうそくを立てた陶の台が入口のしるし、そしてその小屋の上にかゝげられた陶製の表札、「裸苑」。

 小屋は右半分を土間に、左半分は板敷床で中央に炉が切ってあるのです。珍らしく炭がいけてあって自在に陶の鍋がかゝっています。

 やおら主はその前に座し、自分で焼いた茶碗に、鍋の味噌汁を、木の杓子ですくって、ふるまって下さり、自作の天婦羅、カブラの漬物、西洋セリのサラダ、新鮮な味、はち切れるような口あたり、すべてが主人みづからの自作自演の器、そして食味です。

お水を所望しますと、炉の隅に四角い焼物の水さしが置いてあって、柄杓をさし出して下さるのです。

「まあこゝにありますの。」と、用意周到な便利さに、唯々驚くばかりです。

 食後又苑をひと回り、みぞに転り込んであるどんぐりのいが、柿の大きな実、たった一葉のすごい柿紅葉、もう色づき初めているなつめの実、その間にさつまいも、西洋セリなどがまかれてあり、紫色のあぎみの一と花のあぎやかさ。再び抹茶を一服戴き、前薬師寺管長橋本凝胤師筆椿の画に、「花咲知春」の自画賛の一軸に拝礼、この軸を取りかこんで部屋いっぱいの、裸人山人の画と陶芸品を拝見。

 外は緑したたる根菜菓木の、自然の天国、仕事小屋はこれ又文化音の交響楽をかなでゝいます。

何と素晴しい生活でしょう。これ極楽浄土の世界、人間生活に出来うる最上の贅沢だと思ったことです。

 暫し俗じんを払い、酔芙蓉の微醺をおびたピンクの笑みに送られ主の暖い好意をいつまでも背中に負って、さようならをしたのです。

これを書いている時に、道草におくれおくれた真実の台風が、大阪を通っています。(54・9・29記)


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