倉吉紀行

山野としえ

倉吉紀行

 暫く、天高しという秋の好天が続いたものですから、ひょっと雨が降るかもしれないと、いさゝか覚悟をきめて、倉吉行きの前夜は雨支度もおさおさおこたりなく、用意してたった一泊の旅のものを調えたのです。

 朝寝ぼうの私は、六時の起床に寝ぼけ眼をかすませて、

 「降ってないけど曇りかな。」ぐらいになっとく、バス停のベンチに腰掛けて、やおら東天を仰ぎ見れば、目もまばゆい青空です。

 「もしもし、その椅子露でぬれてますよ。」

 後からきたおばさんに指さゝれ、

 「まあ!ほんと、有難うございます。」と、おじきをして、着物のお尻へ手をやると、べっとり、何て間抜けでしょう。東天のまばゆい青空もけしとんで、露しとど置く朝まだきのペンチを見下したことです。露という自然の造形の妙を、朝寝の為に忘却していたとは、何と勿体ないことをしていたのでしょう。空地のきりん草も、野菊も露草も、元気に開いています、さてこ、で一句という所ですが、つくづく下手を痛感しているので、「うん。」

 バスは二人座席に一人のゆったりさで八時出発。

昨年度の文化協会バス見学旅行は、木曽二泊で、参加者十三名、その時のバスの表札はやお文化教会≠セったので、キリストの使徒十三名で、何となく辻褄が合っているような気になったものです。

 今年五十四年度の見学旅行は、山陰倉吉行、一泊同行十三名、バスの表札はちやんとやお文化協会≠ニなっています。

 「あれー又十三人?」

余程キリストにご緑があるのやなあと、心に一人呟く。

 見覚えの太陽の塔千里を過ぎ、宝塚東トンネルを抜け、揖保川を渡り、水満々とたヽえ渓谷の斜面を彩る、はぜ紅葉の赤を沈めた引原ダムを廻り、七八八米の戸倉峠の頂上へと登り、そして越えて、錦の山陰へと入ります。

 正午、平氏の落人部落、折落の「ニュー平家」にて中食、

「これより三百米、平経盛の墓」の案内板にひかれて、数人見物にゆき、山の新鮮な霊気が、肌を通過する絹ずれの感触にも似た爽やかさに、いヽ気分になっていたのです。所が出発したバスの窓から、この墓も、天然記念物の櫟(いちい)の木も見えたんです。この木は神主さんやお公家さんの持たれる、笏の材料になりますので、一位の位に因み一位の木とも書くそうです。山陰も大和も同じく、田舎の風景は、柿熟るヽの一語につきる、大和島根はいづれも似たり柿の秋です。

 バスが倉吉に着く迄、史跡に富む城下町倉吉の説明文を車中で朗読され、その説明によりますと、倉吉市は、鳥取県のほヾ中央に位し、人口五万、縄文時代より人が住み、奈良時代には国庁や国分寺が置かれ、室町時代になって、山名氏の居城であった打吹(うつぶき)城≠中心にして、東西にのびた城下町です。

 西の方遥か伯耆大山と、中国山脈を背景にした景勝地で、古墳群や住居跡もあって、獣面鏡・土器類、古瓦など発掘物が、たくさん倉吉博物館に展観保存されています。打吹城を中心にした、この打吹公園には、数千本の桜と三万本のツツジが植えられ、春はまさに霞の山となるそうです。

 博物舘を出て、公園の反対側にバスを廻し、そこから一同、長い石段をフウフウ息を切らし、汗を流して、ふだんの運動不足と、年の程をかこちながら、行き合う人もなく、ようやく大ワラジのぶらさがった、古びた山門に到着、そして古びた観音舞台造りの、長谷寺本堂へつきます。

こヽには平安朝の、巨勢金岡の絵馬があり、夜毎額から抜け出して、畑を荒したという伝説のある、精悍な馬の絵も、時を経て古色蒼然、これが馬かいなあといった所です。

さて心に感じることが多くても、文章の表現まヽならず、ええい当ってくだけろ。下手な一句、

 堂朽ちて鐘うそ寒し長谷の寺

おさい銭をあげて、秘佛十一面観世音菩薩に掌を合せ、どこかの十一面観世音様のお姿を、とじた瞼の裏にえがいていると、ゴーンと聞える鐘の音、たちまち佛の姿は雲散霧消、鐘の音に導かれ堂の裏手に回れば、これも朽ちた鐘樓に中心の傾いた撞木、その傾いた撞木に、取り付いているのが河内餓鬼大将、ようやく鳴るのを聞き定めて、一同堂裏よりくだりにかヽります。と、すぐ薄暗い木立の下に、

 うき我をさびしがらせよ閑古鳥

 芭蕉 と彫った大きな碑、

 「へえ親玉の碑だなあ、」と、見上げ見下ろし、末世の末弟子、いさ、か感無量。

湯原ダム

 降りは一瞬、曹洞宗勝入禅寺を右手に眺めてバスヘ。

関金温泉一泊。この旅館の前に、国の重要文化財・関金地蔵堂があり、地蔵菩薩半跏像、丈六の地蔵さまが鎮座なされています。

粗末なお堂に、木像のお地蔵さんが、小屋いっぱい、窮屈そうに座っておられるお姿を仰ぎ見て、その大きさにびつくりしたことです。

 そのお地蔵様に御挨拶して出発、九十九曲り、紅葉の中を走って伯耆大山を遠眺め、

 天高し大山を背に並びけり

一同、チーズ。

 風にさわぐ紅葉の樹海を眼下に、蒜山へ、国民休暇村へ、おだやかなる牛の群を小さく数えて、そして湯原ダムに添ってバスは走ります。快適な道を。

 往きもダム、帰りもダムを通過、自然を切り拓き、湯をひき、まるで山の中迄人間の手が行き届いていて、自然をおさえつけているような気がします。こうしなければならないのか、これで果していいのだろうか、有史以来の木曽御岳山噴火の如く、自然の不平が地底で渦巻いていやしないだろうか、分らないということは、なぜか心を不安にしてなりません。

 そんなこと考えていても、どうなるものでなし、総てを忘れて一路帰途、さあ眠りましょう。樹海の波にゆれ乍ら。

 紅葉バス命あずけて客眠る

 目ざめれば近鉄八尾駅前、新装間近の駅近辺、二十七万市民の活気あふれる街、ネオン輝く光。

今行ってきた倉吉は市民五万、あれえ、倉吉には近代的な立派な博物館があったっけ。

わが愛する町八尾には何もなし。

 昭和五十四年十月二十七日

         二十八日


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