葛城山山頂

山野 としえ

(一)
 寒い頃から、行こう行こうと思っていた葛城行きが、どう考えても私一人では不安なので、主人と日程を調整していたのが、なかなか定まらなくて、道鏡の原稿〆切りが六月末、お尻から火がついてきたので、ようやく六目八日に決まりました。

それでも前日になっても気が重く

 「疲れが重なると悪いから、もう少し延ばしましようか」

 「いやかめへんで、明日ゆこう」と、主人がいうので、

 それではとお弁当の仕度をし、八時起床という事になりました。

 八日、天気快晴、九時出発、月曜、柏原経由御所、葛城山ロープウェー下迄バス、乗客三人半、一人半はロープウェーヘ、残り二人即ち私達老夫婦は旧登山道の入口、清瀧山不動寺へ、役行者開基、丁度時間は十一時、

 「もう半分程食べときましょうか」

 「そうやなあ、朝早かったから」

階段に腰掛けて、お弁当を半分頂き荷を軽くし、三日前丁さんに貰ったタッパーに入れてきたお茶を、一つずつだして、それぞれ味わってちょつぴり飲む。

 弁当開く不動寺の緑風涼し

 そろりそろりと道は登りにかかり、次第に細い山道に、片側は谷川の流れ、山側はさまぎまな木々、そして木苺の実はまだ黄色、藤草、羊歯類、いずれも若葉の黄緑に萌えています。

 荷物は主人の背に、私はメモとペンとハンカチ紙手拭を、小さい袋に入れて腰にぶらさげています。今年初めての洋装に、登山靴をくくりつけて、手に日傘、何年か前農協発行つながり≠ノのっていた葛械高原へいってみよう≠フ切り抜きを、今日の為に用意しておいたものを持参、それには、くじらの瀧と書いてあるのを見て、

 「大昔、この辺にも鯨がいてたのかなあ」と、

 主人の呟をきゝながら瀧の音、瀧の前に腰をおろして暫し休憩、メモとペンを取り出し、早速覚え書きのつもりの俳句、唯五七五のみの言葉をつらねて置く。

 とにかく老化した頭は、いゝ文句がひらめいても、すぐ忘れてしまうのです。だから登り道、しんどいから何回も休んでは、ちょこっとメモをしときます。

 私は頭が涼しい、なんてとんでもない、こうして書き留めておくのが奥の手なんです。

 くじらの瀧三段岩にはじけ飛ぶ

 此の時十二時、暫く登ると方向板ありて櫛羅の瀧″~る人のるにありて登る人にはなし。

ハハーン、こんな字を書くのかと老夫婦二人仰ぎ見て感心。

 清流や蝶向うより渡りくる

 手拭をかぶり日傘を杖にする

 たまさかを俗界離れ瀧の道

 日まといの汗の面を離れざる

 道鏡の取材記を書く予定をしていますが、葛城山縦走のしんどかったこと、日記につけるかわり、体中の痛みとほてりの冷えぬ間、かくは一筆言上

(二)

 人影なく、登る道は涼しく、鳥の声蝶の舞い交し、瀧の音遠ざかれば、絶えまなきせせらぎの響き、道は益々急坂になり、枕木を並べて段々にし、あわせて土砂の流れをくい止めていま。す

その段々が高くて、傘を突き立て

 「やっこらさ」と

 登らないと、筋肉のない足の骨がギコギコと痛みます。

成る可く両端の木のはずれの、土砂のくずれをよって、一歩又一歩

 「太い松は、皆枯れてるなあ」

 「ほんと」

 横も上も見ている余裕のない私

は、その声にいちいち立どまって見上げます。

「古陵の松柏天颱(てんじょう)に吼ゆ

 山寺春を尋ぬれば春寂蓼(せきりょう)、を思い出すなあ」

 主人は時々こんな事を突然いって私を驚かせます。

 「眉雪の老僧時に帚くことをやめ、落花深き処南朝を説く、ですね」と答えて私は、

 麦藁帽子の下の主人の顔を覗いて見ますと、主人は照れたような顔をします。

 「もう眉は白くなってますね。

眉雪の老人時に杖をとめて、葛城の松の枯れたるを嘆く、ですか」鉄砲水が土砂をおし流し、大きく露出している松の根に腰掛け、又休止、そしてメモ。ようやく次の瀧に合う、行者の瀧の由。

 行者の瀧崖を飛び出し岩に落つ

 瀧しぶき木洩日に会い光りけり

まことこの瀧は、修行者の為にある瀧です。櫛羅の瀧は岩を伝って落ちていました。この瀧は一番上の岩から、勢いよくとんで出て、岩を離れて下の岩の上に落ちています。下の岩に座して打たれることのできる瀧です。

 崖をとび出す時のしぶきが、木洩日にピカピカッと輝いては、花火のように消えてゆきます。その一瞬のダイヤの如ききらめき、自然の作る美の見事さ、いつ迄見ていても、あきることがありません。

 瀧を離れると、こん度は杉の植林の中を進みます。枝打ちと間伐されたらしく、まだ青い葉をつけたまゝ、ごろごろ転がされています。

 簾(すだれ)横に広げし如し杉本立

 杉林分つ山路蟻よぎる

 杉植林はずれて渓のせせらぎや

少しの樹杯の隙間から、大和三山が夏霞におぼろに包まれて夢のようです。

 せゝらぎの音が聞えて、昔瀧がかゝっていたのではないかと思われる石組に出会い、その前の長椅子に腰掛けて、残りの昼食をしていますと、上から屈強な青年、

 「今日は」と

 声を掛けて下山、暫くして女性二人下山、こちらから、

 「今日は」と声をかける。

 時計は一時を指し、一.一五qの道を三時間かかって登ったことです。普通は一時間半位の由、

 葛城に道鏡偲ぶ汗夫婦

 ようやく頂上の広場、遊歩道、手入れされた高原にでて、葛城山はやっぱり深いなあと思って、こん度は盲蛇におじず、水越峠金剛道へと降りることにしたのです。

(三)

 葛城山の頂上に、葛城天神社が鎮座されています。もろもろの天ッ神の始祖、国常立尊が祭神で、この場所は古代祭祀の遺跡、天神の森鴨山といわれています。

 ブナの宿り木を眺め、その所に阿波野青畝の句碑があり、二人並んで読んでみましたが、

 「何やわけの分らん文句やな」

 と、主人、

 「私は、こんな分らん句好きませんわ」と書きとめもせず、

 立ち去り、案内板をにらんで、水越への方角へ。

 新らしい建物の、葛城ビジターセンター内を見学、たった一人おられた駐在さんに道を確かめると、

 「水越への道は、登りよりももっと急で、いけまっかな」と、

 二人の白髪をしげしげと見入られます。

 「登りは人様の三倍かかってきたので、又ゆっくりゆっくり休み休みいきますわ」と主人、

 二時四十五分、礼をのべて出発、

 猶みたし花に明けゆく神の顔

芭蕉の句碑、何となくユーモアを感じて写しておく。

 国民宿舎の裾をひと廻り、つゝじ自然園の紅白の門をくぐると、なだらかなくだり、おだやかな丸味を帯びた小山一面のつつじ、さぞ美事であっただろうし、人出も多かったのだろう。今日は唯二人。

南斜面の陽光をさえ切るものなく、日傘をさして足並も軽く。タッタッタッタッと調子よく下る。

 つつじ園を出はずれる頃、パッと眼前に、金剛連山の雄大な山並が現れ、しばしたじろいでスケッチ、

 「京田さんやったら、上手に画かはることやろうなあ」と主人、 私無言、いかにも下手だから。

 背の低い雑木林が続き、鴬盛んに鳴き交し、道はすごい急坂となる。

 水越へ葛城くだる汗の道

 老鴬や急坂横向き這い降る

 「横向いて、かにみたいに歩くといゝよ」

 葛城ぐらいと運動靴の亭主殿、二本の杖を手に入れて、かに這いをしています。遅れ勝の私は勿論右手の傘をたより、先づ杖を一段おろし、左の手で足元の枕木を持ち、

 「やっこらさ」と

葛城山地図  一歩おろすのです。何分この一段一投が高くて、土が流れていて危険きわまりないのです。

 時々枕木が流されていて、どうやってその下迄尻餅をつかずに、すべらずにおりようかと、足の裏がこそばゆくなるのです。

 「急ですね、八十度位もあるかしら?」

 「そんなにないやろ」と主人

 「富士山の胸突き八丁みたいですがな。あそこは段々がないけど」

 遥か下に国道三〇九号が、白々と見えた時、この急坂がどうしてあそこ迄続くのかと、ぞうっとしたものです。一歩間違えば逆落しになるような錯覚が、かろうじて地球の引力が土を通して直接足にくつっいている、かすかな目に見えない、自然と神の磁力を、しわりーっと感じたものです。

(四)

 水のある所樹林あり。

 ようやく幽かなせせらぎの音聞こえ、一条のささやかな流れに出合い、ホッと心の安らぎを覚えて石に腰をおろし、小石を縫いきらきらと砂の上を、浄らかな清水の動いてゆくさまを、あたかも命の泉もかくやと眺めます。

顔を洗い水を頂いてきた主人が、

 「顔を洗っておいで、すっとする」と、

 「洗ったら白粉がはげますがな」

 もうとうにお白粉なんかはげて、きっとパパの疲れた顔が丸出しだろうと思います。黒地の大きな蝶が水の浅い所へ止ったり、水を呑んでいるようにも見え、遊んでいるようにもみえます。

 蝶々のいらいら遊ぶ清水かな

 掌に盛りて谷の清水を戴きぬ

おいしく、冷めたく美しい愛の水。

 途中に二俣道があり、地図を拡げて右せんか左せんか。私は左の方に心動き、主人は、

 「こっちの方が、人が歩いたように思ぅ」と、さっさと右へ。

 私は左に心を残しつゝ主人の後を追う。一人しか通れない道、でもこの道が少し広い道へ続いていたのです。私が一人できていたらと考えた時、背中がぞうっとしてどうなっていたことでしょうね。

 所詮女とは弱い者です。人とは一人では生きていけない者です。

このような大地で、人が孤独になった時、どのような精神状態になるでしよう。神となるか狂となるか?

 急坂がつゞくと、前をゆく主人の麦藁帽子がすぐ見えなくなるのです。それでも水越峠へ着いた時、二・七qの急坂を普通の一時間半で下ったのです。

 それからの葛城渓の道、六・七q舗装の少し下りを、

 「四q一時間の早さで歩いた方が疲れが少いで」という主人に、

 「今日は服だから少し速く歩いていますのよ」

 「ようあの坂おりてきたなあ。偉かったなあ」と賞めて貰って、日傘をガーラ、ガーラひきづりながら、ついていったのです。

 時々立ち止って、崖から白い花が垂れているのは野茨の花だ。

ここに百足(むかで)虫がいる。

 私は始めてむかでを見たのです。

真異な艶のある胴体に真赤な足、配色の妙ながら、原始動物に近いのではないか、などと思ったものです。

いろいろ教えられ勉強しながら、三つ目の瀧にまみえました。

歩いている人には一人も出会いません。

この瀧は一番長い水足で、この瀧も行者の瀧も案内板がありませんでした。

 案内板なき瀧なれど祈りけり

農協さんには祈りの瀧と書かれています。

 くたぶれて宿かる頃や藤の花   芭蕉

夕ぐれて道猶遠く、翁の句を思い浮べて

 くたぶれて浮ぶ翁の句夏あぎみ   としえ

(五)

水越から一時間以上も歩いて、一里半の道を、大変な速度で下ってきたものです。

 後ろから自動車の音がする度に、振り返って、タクシーがこないか、唯か便乗させて下さる方はないかと、心だのみの甲斐もなく、ようやくバス停の名柄(ながら)近くの、水分神社に到着。

 「もうここから拝んどこうか」

 と、さすがの亭主殿もくたぶれの体。

 「拝殿迄いきましょうよ」

 古い破れ拝殿、実は絵馬堂の朽ちた床に腰掛けて、向うの小さい本殿を拝み、水を飲み飴を一個ずつ口にほうり込む。荷物を恐れて余分な食物を持ってこなかったことを後悔し、足元よりのぼってくる暮色に追われ、

 「ここはもうあぎみが咲いていますね」

 などと、路傍の花に疲れをまぎらわし行くこと暫し、道の分岐点にて土地の婦人に会う。

 「名柄のバス停はこの道、一言(いちごん)さんは左の道、国道の地下を通りお詣りして、又元の道にでて真直ぐゆくと九品寺です。九品寺さんでタクシーを呼んで貰えばすぐきますよ」

 「有難うごぎいます」

 タクシーという言葉につられ左の道へ。国道をゆけどもゆけどもくたぶれた足には、

 「そこです」は地の人の足、

 私共には、一・五q先

 くたぶれて日傘ひきずる舗装道

ようやく山裾に神社の大屋根をみつけ、

 「あんなに遠いで、もうここから拝んどこ」

 「そうですね」と私、

 道の端で二人並んで掌を合す。

又、一・五q先、九品寺

 代田へだて一言神社遠拝む

暮れなずむ夕べ九品寺は門を閉ざしています。仕方なく九品寺門前の加藤建材店にお願いした所、若い男の人が心よくタクシー会社に電話して下され、有難くお礼を申し上げ九品寺の坂を下りかけるとはやタクシー到着、余りの早さにびっくりする。

 そしてアッというまに御所駅前、

駅前の喫茶店で、熱いコーヒーとトーストを頂き、のび切った足を休ませます。

 心に重く澱んでいたしこりが一挙にとけ、しかも希望していた私にとっては遥かな道、その道の全てをこの二本の痩足で踏破した、という喜びと成しとげた安堵感で感激に震えていたのです。

 何といっても二人共七十才に近い年でしょう。その両方の父親の死亡した年を越えているのです。

昔ならば、ひよっとしたらこの世にいない年の男女が、殆どを乗らずに歩いたのですもの。

 かくも無事に歩けたということも真実不虚のお蔭、道鏡が修行し葛城山中を跋渉したであろう足跡の、片足たりとも合せることができたでしようか。頭上からは天然の音楽、地には清水、葉緑素一杯の空気、物質的繁栄は、決して人びとの心を安らぎで満たすことまできないと、山は話してくれたのです。


総目次、