ふるさと 二

ふるさと 河内どんこう≠焉Aようやく二十号という二た桁山へ到達することができました。昭和五十一年四月三十日創刊号発刊以来八年、思へば一歩一歩よくも登ってきたものだと思います。

 今第一号を手に取って目次を眺めてみますと、その多才な執筆陣に一驚するばかりです。さてそれではと、最新号を開いてみますに、同じ名前があるやなしや、時代の変遷激しい時とはいへ、そのかみの人達の執筆の意欲は今いずこに飛んでいったのであろうか、と思へば淋しい限りです。

 それに引き替へその頁の所々に載せられている広告の数々は、創刊号以来二十号の今日に到る迄、変ることなく増えこそすれ延々と掲載されています。

 一文の謝礼もなく、淡々と毎々書き続けて下さっている作家に対して、感謝することは勿論ながら、これら掲載の広告が河内どんこう≠フ、屋体骨を陰から支へて下さっている最大の有力援護者であったということも、決して忘れてはならないことです。この欄を借りて厚く厚く御礼申し上げます。

 今年の夏九十三才になられる、東大寺狭川明俊長老が若狭へ行かれた折、同じ宿に投宿の舞鶴高校教師より、学校への揮毫を懇望され、後日送られた由、その書に曰く「学者如登山」学ぶ者は登山の如しと、敢えて学ぶ者のみにあらず、我ら生きとし生ける人間も、日々山に登る如き心境でなければならないと思います。

 八年間河内どんこう≠ヘ一歩一歩登りつづけてきました。早い時は一度もなく、遅いおそい歩みではあったけれど、休みなく登ってきたことは偉大なことです。世の中のしきたりや、既成概念の枠にも組み込まれず、個性を持って出版するという義務を忠実に果してきた、この平凡な歩みの中にこそ、非凡があるのです。

 明日も又どんこうと共に学びの坂を登っていこう、歩みは遅くとも美しい自然を見て、豊かな日を開いて―

     山野としえ


総目次、 ふるさと 一