ふるさと 一

ふるさと 昔は、半夏生(はげっしょう)といえば農家の休みであった。田植を終り餅搗きをし、章魚(たこ)の最も美味い時で、麦藁だこと称して、章魚を食べて田植の終了を祝ったものである。

 当節は田んぼが少くなったせいか、田植も早ばやとすんで、植田は青々と緑が濃くなり、雨の日など傘の下から街中の青田が、自然の匂いを発散させ、ゴロゴロ、ゲロゲロと蛙の声が、傘の内にとびこんでくる。ふと目をあげると、青田の向うのお寺の石垣の横の野道へ、一人の女の人が市道から折れて入っていくのが目にとまった。こちらから見ていると道は見えなくて、植田より高い緑の草の中をその人はゆったりと歩を進めてゆく。紺地に白い絣模様の着物に、橙色の半巾帯を尋常な蝶結び、きりっと〆て傘さして、中年位の婦人であろうか。

 私は立ち止まって、雨と緑の植田と寺の塀と、その余りにも何気ない素朴な和服の調和の美しさに、しばし我を忘れて見とれた。ああ!和服姿って何て素的なんだろう。日本的な雨の情緒の静かな一幅の絵画を、心豊かに眺めているようであった。

 さて話は変るが、此の間の参議院選挙の投票日のことである。まだ終日着物を着ている私は、帯は〆ていても治衣の普段着で投票所にいくことに、何となく忸怩たるものがあった。投票にいく人の服装は大よそ普段着であろうのに、私は洋服に着替えて投票にいった。たった一人和服を着ていくのに、なぜかこだわったのである。

 現代からの落ちこぼれ女であることを、自任している筈の私の心からさえも、古きものが一つ又一つとこぽれてゆき、やがて半夏生も普段着の和服の優美さも、この国の古里から勾のように遠去かり、消えてゆくのではなかろうか。思えば佗しいことである。

       (山野としえ)


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