河内飛鳥古寺霊場十五カ寺巡拝記

山 野 と し え

  (一)

 昭和五十六年九月二十七日

  日曜 曇り後晴

 初秋の涼風、肌にここち好く、これがほんとうに秋だなあ、と思われる日本の風土そのままの幸に包まれて、河内飛鳥古寺霊場十五カ寺巡りの第一日目となりました。

河内飛鳥古寺霊場十五カ寺 巡拝記  八時四十五分、近鉄八尾駅前、マイクロバス出発、一路南下。

 この霊場巡りのお先達、案内をして下さる下の太子・勝軍寺の和上奥野師、見かけは軽い服ですが、さすが衿に輪袈裟を掛けて最前列、車輪の方向案内を兼ね、方向音痴の乗客引率、先ず本日の行先について説明、天野山金剛寺をさして車は走ります。

 八尾市を離れ、日本最初の古道、竹の内街道へ出てから、般若心経のパンフレットを戴き、一同練習のため、和上について一句づつ復唱し、また通しても勉強、

 「よくできました」と、

和上にお賞めの言葉を頂戴する。

 山裾の森深き所、

天野山金剛寺

 行基大徳開基、後白河法皇の妹入条女院の帰依深く、女人高野と呼ばれています。

 昔いつ頃お参りしたのやら、覚えなど更々なくて、今日初めてお目見えした心地です。

 天野川の清流を左に、右には長々と続く白壁の土塀、塀の中より夜来の雨に洗われた木々の葉の瑞々しさ、川に添う桜並木は、やや疲れた彩りを見せ、どこからともなく馥郁たる木犀の香り、香りをたどってゆけば金木犀、黄金の花。一番奥の仁王様睨み給う樓門を潜り、金堂に上堂、灰暗き堂内の正面に大日如来様、不動明王降三世明王を両脇に従え、燦然と輝き在します。一同小習いしてきた般若心経を誦し退出、その正面に多宝塔、右手一段高き所、桧皮葺の観月亭、そこを出て古びた塀の一角、摩尼院へ。

 ここは南朝行在所、後村上天皇が、正平九年(西歴一三五四)十月二十八日より六年の間行在所とされた所で、下の食堂を常御所として政務を見られ、それを天野殿といいます。

 隣の観蔵院には、北朝、光厳、光明、崇光の三上皇が正平九年三月賀名生より移られ、南北朝時を同じく、塀一つを境として、ご座所とされていたそうです。

 南朝、摩尼院のお庭は、小じんまりと簡素に寂寛としたたたずまい、北朝、観蔵院は、亀島には槇、鶴島には六百年を経た五葉の松が抜きんでて、一面緑の杉苔に覆われ、池には白い水蓮が咲いて、枯山水のおもむきです。

 白い着物に黄色いはかま、神主さんのようないでたちの金剛寺管長に見送られ、木犀の香りがいつまでも追ってくる道を、天野山に別れを告げたのです。

 薬樹山延命寺

 寺への狭い山道は、小さい車でも道巾いつぱい、急いでよけて下さる人々に、窓の中から頭を下げて心から感謝を捧げます。

 この寺は昔、山獄修行をする寺として、役の行者の開基と聞きましたが、案内書には弘法大師となっています。

 大師作北向地蔵尊は、一願のご利益ありとか、厚かましく私も拝んできました。有名な夕照の楓は紅葉にまだ早いので再来を約し、茶の接待を受け、延命箸を頂戴し、ご本尊如意輪観音に心経を誦し奉って急いで辞去。


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